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August 29, 2007

感想文

8月も終わり、子供たちにとっては長いような短いような夏休みの終わりである。宿題をまとめなければいけない時期であり、子供たちの会話にも当然この話題が出る。実は、今の勤務先の関係で、毎朝女子中学生の集団に会うのだが、聞くともなしに彼女たちの会話が聞こえてくる。

「あたしはもう宿題終ったよ。」
「えー、早いなー。あたしまだ感想文が残ってて。」
「感想文なんかあらすじ書いちゃえばいいからさぁ。あらすじはどこかに書いてあったりするから、あたしはそれを写しちゃった。少しだけ言葉変えて。」
「3枚以上書かなきゃいけないんだよねぇ。」
「3枚以上だから3枚書けばいいのよ。で、不安だったらさ、4枚目に1行だけでもあればいいわけじゃん。」

そうそう。夏休みの宿題と言えば読書感想文や音楽の鑑賞文、理科の自由研究などがありましたね。で、面倒なのが感想文や鑑賞文で、一体何を書けばいいのか。で、いつの間にか感想文とは、あらすじをうまくまとめてそれに自分はこう思ったああ感じたと書くものだ、という風になっていて、これは僕が子供の頃と全く変わっていないのだな、と思っておかしくなったのであった。実際、本を読んだ感想なんて一言二言しか書けるものではないだろうか。それでも先生からは原稿用紙何枚とか指定されるので、残りは殆どあらすじをその枚数引っ張って書くことになる。

一体、いつから感想文はあらすじを書くものになってしまったのだろう。本当は感想文なのだから、自分を感じたことを文字で表現するということが大事なのではないだろうか。けれども、学校の国語の授業では与えられた文章の理解力を確認することが優先されているため、あらすじをまとめるとか作者や筆者の書きたかったことは何かとか、受け身的な内容が中心になりがちなように思える。

実際、自分の感じたことを表現するというのは、大人の私たちにも難しいことだ。表現しようとすると、短い、一般的な言葉——よかった、素晴らしかった、すごかった、最高、といったような——で終ってしまいがちで、自分の表現力というか単語力というか、要するに国語力のなさを痛感してしまうのだ。こうやってことあるごとにブログを書いていてすらそうである。これは、常日頃自分の感じたことを表現することをしてこなかったからであるし、一方では、学校では正しい答を求められることが多いので、感じたことというのも模範解答的に表現するように身についてしまっているからだ。桂枝雀の落語にもあるが、何でもかんでも最後に「感動した」と付け加えればいいようなものだ。だが、本当は感じていることに正しいも間違っているもない。一人一人の生徒にそれぞれの感じ方があっていい。答は一つではない。

本当は、子供の頃から自分の感じたことを表現するような授業がもっとあっていい。一人一人のそういう感じ方の表現を指導しなければならない先生は大変だろうが、でも結局それがなされていないところで大人になってみんな苦労するのだ。国語はあらゆる教育の基本であろう。

人と人とが出会い、つながり、そこから何かが生まれてくる時、自分が感じていることを的確に表現し、伝える力は絶対的に必要である。その力のなさを今さらのように感じながら、僕もこのブログを綴り続けるのである。

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August 28, 2007

東国原知事

妙なお菓子を買ってしまった。コンビニで、突然目に飛び込んできたのだ。「そのまんまポテト」とある。この語呂のよさ、と思ったらそのまんま東さんこと東国原宮崎県知事の似顔絵が! 次に目に入ったのは「宮崎産」の大きな文字。宮崎産日向夏のパウダーを使用しているというのだ。よく見ると東国原知事の似顔絵は「みやざき」と書かれた法被(はっぴ)を着ている……。NHKの朝のニュースで県庁舎が今や宮崎県の観光名所になった——あわよくば東国原知事を一目見たいというところからだろうが——という報道があった後だけにタイムリー、思わず買ってしまったのだ。

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軽い、と思われる向きもあるだろうが、こうやってお菓子のキャラクターにまでなって自らの県を宣伝するような知事というのはこれまでなかったのではないでしょうか。タレントから知事になった方はこれまでに何人もいて、大阪の横山ノックさん、長野の田中康夫さん、東京の青島幸男さん、いやいや、現在の石原知事もタレント出身だ。それぞれの都道府県内では似たようなことがあったのかもしれないが、こうして全国区で宣伝キャラとして登場した方はいないのではないかと思います。こんな風にキャラになった政治家の方と言えば、寧ろストラップになって人気を呼んだ小渕首相を思い出します。携帯ストラップがあらゆる世代に流行ったのはあの方の影響が大きいのではないでしょうか。

こんなキャラになっても、不愉快に思わせない、寧ろ宮崎のいいイメージに貢献しているのが東国原知事のいいところではないかと思います。単にタレントだから、ということ以外に、人を惹きつける何かがこの人にはあるようです。政治家としてはまだまだこれからというところでしょうが、それだけに一生懸命宮崎のためになろうとしているところが感じられ、好感が持てるのです。県庁が観光名所になるのもわかる気がします。ずっとこのままのいい感じで進んでほしいものですね。

頑張れ、東国原知事!


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August 26, 2007

ラジオ「DAICHI-大地-」第49回〜セカンドライフのことなど

ラジオ「DAICHI-大地-」の49回目は、セカンドライフの話題などに触れながら、関根敏行さんの「Intimidade」、「Bahia」を聴きます。

また、ライブ情報のコーナーでは、その関根さんのライブ・スケジュールと、いだきしんさんのピアノ&パイプオルガン・インプロヴィゼーション・コンサートをご案内しています。

尚、ラジオ「DAICHI-大地-」のホームページはこちらです。

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August 23, 2007

セカンドライフの水族館でピアノを弾く!〜ライブ・ストリーミングの実験

引き続きセカンドライフの話題です。昨晩は、セカンドライフに参加した時からずっと懸案事項であったセカンドライフ内でのライブ演奏の実験を行ないました。前にも書きましたように、セカンドライフはデザイン、アニメーション、映像、音楽、プログラミングといった、クリエイターなら誰でも挑戦のしがいがある舞台なのですが、しかしその実、音楽についてはいろいろと制限も多いのです。それは、セカンドライフでは1つのSIM(地域)で起る全てのことを1つのコンピュータが全部処理しているということに加え、音楽や映像の処理が重たいということと関係しているのでしょう。

音楽について言えば、例えば、ピアノを弾いて音を出す、ということを考えてみましょう。この時はピアノに、操作すると読み込んである音を出すスクリプト(プログラムのようなものです)を仕込んでおくことになるのですが、その読み込める音というのがWAVという形式のファイルで10秒までという制限があるのです。しかもその10秒のファイルをセカンドライフ内に持ち込むのに10リンデン・ドルの費用がかかります。10秒というと、これはもう、効果音の世界ですね。普通の曲なら4〜5分はかかるでしょう。そこで、ピアノでまとまった音楽を流すようにするには、曲を10秒毎に分割したファイルを作っておいて、これらのファイルをセカンドライフ内にアップロードし、スクリプトで順々に音を出すように設定する必要があります。この方法だと1曲にかかる手間は大変なものですし、費用も240〜300ドルかかることになります。無料で服から家まで手に入るようなセカンドライフの世界で300ドルと言ったら、結構いいものがいろいろ買える金額です。しかも、これだけ手間と費用をかけて、セカンドライフ自体の動きが重くなると、分割されたファイルはうまく連続して再生されず、ブツ切れになったりします。これは音楽ではありません。

そこでストリーミングという方法があります。ストリーミングはオン・デマンド方式とライブ方式に分れるのですが、まずはオン・デマンド方式。これは、その土地(敷地)のプロパティに、その土地で流す音楽ファイル(mp3)が置いてあるサーバのURLを記述しておくのです。すると、その土地を訪れた時に、自動的にメディア・プレイヤーのボタンが画面に現われ、音楽が流れるというものです。これだと、普通に音楽が流れ、途切れることもないので気持ちがいいのですが、一つだけ難点があります。それは、その音楽の再生が、それぞれのアバターの設定によって異なるということです。例えば、私などは「編集」メニューの「環境設定」の「オーディオ&ビデオ」で、音楽が再生可能な場所では再生するような設定にしてあるので——これは時々メッセージが出て確認されることもあります——、そういう土地に行くと自動的に音楽が始まりますが、そういう設定になっていないと、いちいちプレイボタンを押さないと音楽は始まりません。そして、音楽はそのアバターがその土地に入った時から、またはプレイボタンが押された時から始まるので、同じ土地にいるからと言って、同じものを聴いているわけではないのです。曲は同じですが、その曲のどの部分を聴いているかは、時間差が出てくるということです。

つまり、同時に同じものを聴こうと思ったら曲がブツブツ切れてしまうかもしれず、曲を気持ちよく聴こうと思ったら、今度は一緒にいるのにリアルタイムで同じ経験ができないというジレンマがあるのです。

そこで出てくるのがライブ・ストリーミングです。これは、ストリーミング・サーバというものを経由して、そのサーバのURLを先程と同じように土地のプロパティに設定しておけば、リアルタイムで音が流れてくるというもので、セカンドライフでのライブイベントなどではこの方法がとられています。但し、この場合は、楽器やマイクの音を取り込んで、その音をストリーミング・サーバにアップロードするものと、セカンドライフ内で自分のアバターを操作するものの、2台のパソコンが必要になります。当然、いい通信状態を確保するならインターネット回線も2つ要ることになります。

さて、ビンボーな環境の中でこれらの問題をどうクリアするか。幸いパソコンは本格稼働しているものが2台あり、一つはセカンドライフを走らせているMac OS Xのもの、もう一つはOS 9.1のものです。必然的に9.1のMacで楽器の音を取り込み、サーバにアップすることになりましたが、このアップするためのソフトというのが大変でした。サーバはセカンドライフで使った人もいるというライブドアのねとらじで試すことにしたのですが、ねとらじで実績があり、OS9.1で使えるソフトとなるとMac Ampというソフトくらいしかないのですが、これがオフィシャル・サイトはクローズしていて入手困難というものなのです。が、執念であるサイトを見つけダウンロードしました。となると、あとは回線の問題。これまで導入していなかったのが不思議なくらいですが、ブロードバンド・ルータを買ってきて2台のパソコンを接続し、OS 9.1でアップした音をOS X側のパソコンで聴くことができました。とりあえずはねとらじを使ってのストリーミングの実験自体は終了。となれば、いよいよセカンドライフ内でうまくいくかどうかです。

というわけで、技術的な前置きがかなり長くなりましたけれども、前回ご紹介しました pira Noel さんが Hakata のお店の隣の部屋にピアノを持っているので彼女に連絡します。「今からライブの実験やりたいのですが……。」「いいですよ〜。」ここで考えたのです。ただあの部屋でピアノ弾いてもおもしろくないよねぇ。きっと彼女はまた写真撮ってくれるだろうから、だったら絵になるようにしたいねぇ。そう思って彼女に言ったのは、「お手数ですけど、ピアノをHakataからKaruizawaの水族館に持ってきてもらえませんか?」そうです! 海の底にピアノを沈めてそこで弾こうというのです。海の底でタキシード着てピアノ弾くなんて、これはもう仮想世界ならではなんではないでしょうか。で、折角なので pira Noel さんをご紹介下さった kyoko Infinity さん——そう、ネット音楽雑誌・月刊「DAICHI-大地-」でもおなじみのあのKyokoさんです——にも連絡します。「行く行く!」と文字通りの二つ返事。というわけで、3人Karuizawaの水族館に集まったところで、リアルの世界にいる私が演奏を始めます。実際の演奏より15秒ほど遅れてセカンドライフ内で音が鳴り始めました。

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海底でピアノ演奏中のHiroshi Kumaki


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pira Noelさんの後ろ姿(水着だ!)
——中央上の方にはイルカと戯れる kyoko Infinity さんの姿も

演奏が終ってから聴いてみたら、2人とも聞こえていたとのこと。同時に経験できたようです。私のADSL回線も、音楽データのアップとセカンドライフを走らせるのを難なく同時に処理してくれました。いや、アップに使った古いOS 9.1のマシンもよく頑張ってくれました。

それにしても、とっさの思いつきとは言え、海底での演奏会というのはなかなか美しく素晴らしいものでした。ミュージカル出身の kyoko Infinity さんも踊りたくてたまらないご様子。最近、ある席で、もしかしたら気が違ってるんじゃないかと思うようなことがひらめくかもしれないけど、そのひらめきを自分で抑えたり否定したりしないで、メモして実現するかやってみなさいという話が出たことがあったのですが、皆それを思い出し、「ピアノを海の底に沈めて弾くなんて気が違ってるよね。」「しかも博多にあるピアノを今すぐ軽井沢に持って来いだなんて。」と大笑いしました。こういうことが簡単にできてしまう仮想世界だからこそ、新しい可能性が生まれてくるのかもしれないと。

というわけで、今回の実験の結果に満足した私たちは、ここで実際に人を集めて演奏会を開くことにしました。いろいろと準備がありますので、秋になってからのことになるとは思いますが、その時はまたこのブログ等を通じてお知らせしますのでどうぞよろしくお願いします。

長くなりました。今日はこの辺で。


P.S. 今晩は定期メインテナンスのため、日本時間で8月23日(木)午前0時〜3時の間はセカンドライフに接続できなくなっています。詳しくはリンデン・ラボ社のオフィシャル・ブログをご覧下さい。


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August 22, 2007

セカンドライフ〜pira Noel さんの水族館

日本ではセカンドライフというとお金儲けやビジネスの話ばかりが先行しているきらいがありますが、セカンドライフのモットーは "Your World. Your Imagination." 日本語版では「あなたの世界。あなたの想像力。」と訳されています。あらゆる「現実」の制約をとっぱらったところで自分の想像力を最大限に羽ばたかせてみる場だと私は考えています。で、実際にいろいろものを作り始めたり、話題のスポットを訪れてみてすぐに気づくことですが、せっかく空も飛べる、どんな格好でもできる空間にいるのに、人間、なかなか保守的なのですね。

例えば私なども、自分の店を建築し始めて笑ってしまったのですが、どうしても店というと地面に柱を立てて、床を、壁を、天井を、屋根を、と考えてしまうのですね。床は日本古来の高床式を取り入れたのですが、そこに上がるのにちゃんと階段をつけました。空飛べるからそんなものいらないのにね。(笑 屋根もガラス張りのものを考えていましたが、考えてみるとここでは雨も降らないし、寒くもないし、寧ろ天井や屋根がない方が、そのまま飛んで上から出られていいな、とか考え始めて途中でやめてしまってます。

そうやって自分でいろいろ考えながら作っていると、当然、人が創っているものが気になりますね。で、あちこち見ながら気づいたのは、結構みんなリアルなもの創るのにこだわってるようだということですね。そうでない人でも、スターウォーズやガンダムで見たような、SFチックなものだったりして、要するに、どこかで見たような、という点では変わりないのですね。自由に何でも創っていいよ、と言われた時に、本当に想像力を羽ばたかせて自由に、これまでなかったような新しいものを創るのってなかなか難しいんですね。

そんな時に知り合ったのが pira Noel さんという女性ですが、この人は Hakata に Cosmic Tree Cafe、Karuizawa に Cosmic Tree Aquarium という水族館をテーマにしたお店を展開しているのです。これがよかったですねー。とても幻想的な空間で、とても落ち着き、癒されるのですね。そうそう、このブログで何度も触れているいだきしんさんのピアノ曲が流れているのがまたいいんですね。

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Karuizawa の Cosmic Tree Aquarium

私が特に気に入ったのは、Karuizawa のお店にある水族館の方。ここは、本当に海の底にいるようで、いろんな魚が泳ぐ中を散歩したり泳いだりできるのです。アクアラングも着けずに簡単にこんな空間に遊ぶことができるのは仮想空間ならではですね。お魚と一緒に泳いだり、そう、私もイルカに乗ったりしたのですが……。

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イルカに乗る、というより座ってる Hiroshi Kumaki 君

乗るのに失敗して、横向きに座ってしまいました。(笑 それでもイルカ君は文句一つ言わず、私を乗せて海の中を遊泳するのです。その間、いろんな魚とすれ違ったりして。これがなかなか気持ちいいのです。思わずいつまでもイルカに乗って過ごしてしまうような、いつまでもいたい気持ちにさせてくれる空間です。

この水族館にはかなり刺激を受けてしまいまして、私自身も自分のお店の方針を見直しているところです。刺激的なスポットは結構あると思いますが、刺激だけであれば、現実の世界にもたくさんあります。それよりも、現実の世界で誰もが夢見ながらなかなか実現の難しいような美しい空間を創るということに力を入れるべきなのではないか、そんなことを考えさせられたんです。そしてそういう美しい空間が広がっていけば、同じく現実の世界で難しいと思われている平和とか愛とか、人間なら誰もが望むものが実現していける、そんな風に考えたのです。

今日ご紹介した pira Noel さんの2つのお店、本当に美しく、気持ちのいいところですので、一度訪れてみて下さい。SLURLは次の通りです。

●Cosmic Tree Aquarium
http://slurl.com/secondlife/karuizawa/244/230/21

●Cosmic Tree Cafe
http://slurl.com/secondlife/Hakata/139/239/23

それでは、また。


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August 21, 2007

『スノウ・クラッシュ』〜メタバース再び

前にメタバースについて書いた時に、この言葉がニール・スティーヴンスンの『スノウ・クラッシュ』という小説から来ていること、そしてこの本はハヤカワSF文庫から出ていたが、今は品切れ中の旨述べました。が、実は、あのブログを書いた翌日、新宿の某書店で運良く新刊本として手に入れることができたのです。ここは、いつも私が、ここになかったら東京の本屋にはない、と考えている、そういう本屋です。

その『スノウ・クラッシュ』では、メタバースについてどんな風に述べられているか、ちょっとここに引用しておくことにしたいと思います。

「……彼はいま、このユニットにはいない。彼がいるのはコンピュータの作り出した宇宙であり、ゴーグルに描かれた画像とイヤフォンに送り込まれた音声によって出現する世界。専門用語では”メタヴァース”と呼ばれる、想像上の場所だ。ヒロは、このメタヴァースでほとんどの時間を過ごしていた。ここには<貯蔵庫>のような嫌なことはない。

「ヒロはいま、<ストリート>に近づいている。メタヴァースのシャンゼリゼとも言える、明るく照らし出された大通りだ。ゴーグルのレンズに映って小型化した、現実には存在しない通りを、何百万という人間が行き来している……(中略)……。

「現実世界と同様、この<ストリート>でもつねに開発が続いている。開発者たちは、メインストリートから枝分かれした自分だけの小さな通りを設定して、そこに建物や公園などを作る。それだけでなく、頭上の広大な空中に浮かぶライトショーとか、三次元の物理法則が無視された特殊空間とか、中にいる人間同士が殺し合うフリー・コンバット・ゾーンといった、現実世界には存在しないものも作ることができる。」(ニール・スティーヴンスン『スノウ・クラッシュ(上)』(2001 ハヤカワ文庫SF1351 P44〜46)

ゴーグルをつけてアクセスする、という点が違うものの、基本的にはセカンドライフはこのSF小説の世界をそのまま現実化したもののように思えますね。いや、セカンドライフでは最近、ボイス機能が搭載され、専用のヘッドセットなんかも出てきてますから、そのうちヘッドセットと一体化したゴーグルも出てくるかもしれない。そうなるとますます面白くなるでしょうね。

さて、そのセカンドライフでは自分のアバターを使って生活するわけですけれども、この "avatar"=「化身」というサンスクリット語をこの世界に持ち込んだのもこの『スノウ・クラッシュ』のようですね。再び引用します。

「もちろん、彼がいま見ているのは、現実の人間ではない。光ファイバー・ケーブルを通って送られてくるスペックにそって、彼のコンピュータが描き出した動画の一部だ。人間の画像は”化身(アヴァター)”と呼ばれるソフトの一部で、視聴覚体(オーディオビジュアル・ボディ)を使ってメタヴァース内でのコミュニケーションが行なわれる。ヒロのアヴァターも<ストリート>にいて、モノレールを降りてくるカップルたちが彼のほうを見れば、ヒロが相手を見ているのと同じく、むこうも彼を見ることができるわけだ。

「さらに、会話を交わすこともできる。一方はロサンジェルスの<貯蔵庫(ユー・ストア・イット)>にいるヒロ。他方は、おそらくシカゴあたりの郊外でカウチに寝そべりながらラップトップ・コンピュータに向かっている、四人のティーンエイジャーたち。だが、双方が言葉を交わす可能性は、現実世界にいるときよりもさらに少ない。ちゃんとした若者なら、刀を差して一人で歩いているようなオーダーメイドのアヴァターに、声をかけたりしないのだ。

「アヴァターは、使っているマシンの能力が許すかぎり、どんな姿かたちにもすることができる。実物の自分が醜ければ、ハンサムなアヴァターにすることもできる。現実世界ではベッドから起きたばかりでも、アヴァターにはきれな服を着せ、プロ顔負けの化粧をすることもできる。ゴリラだろうがドラゴンだろうが、巨大なしゃべるペニスだろうが、メタヴァースではなんでもありだ。<ストリート>を五分も歩いてみれば、そのすべてに出会うことができる。」(前掲書 P63〜64)

こちらもセカンドライフそのまんまですね。1992年と言えば私がパソコン通信を始めて、電子メールを使い始めたばかりの頃で、当時はインターネットなんて言葉も知りませんでしたが、そんな時代に、ここまで明確なイメージを打ち出している作者の想像力には脱帽ですね。

もともと、「メタバース」って一体何なの、という疑問から始まって、その出典とも言えるこの本を読み始めることになったわけなのですが、はっきり言って、この本、メチャクチャ面白いです。主人公が仕事にあぶれたハッカーで、ピザ配達の仕事と、いろんな人や会社の内部情報を手に入れてはそれを売って暮らしている日系人のヒロという少年と、お母さんには内緒で、マクドナルドのトイレで着替えてはスケボーで書類などを届ける<特急便屋(クーリエ)>の15歳の少女Y・Tという二人の主人公が実に魅力的なのだ。「ニッポニーズ」と呼ばれる日本人のカリカチュアも笑える。ヒロが売ってるような情報は「インテル」と呼ばれている。ヒロの同居人は「チェルノブイリ」という名のウクライナ人で、彼がやってるバンドの名前はメルトダウンズ=原子炉の炉心溶解だ! 市場原理が公平に働いた結果、この時代のアメリカが誇れるものは、音楽と映画とソフトウェアとピザ配達だけだ、というのもまた笑える。世の様々な現象を嫌みな皮肉でなく笑い飛ばしながら、登場人物たちは実に現実味があって共感でき、何よりこの文章のテンポがいい。これはもう、SFなんていうジャンルに留めておけるようなものではなく、良質の文学です。久し振りにおもしろい本に出会った、という感じです。セカンドライフとかメタバースとかいうことを離れても、是非手に入れて読んでみられるといいと思います。お薦めです。

それでは、また。


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August 20, 2007

ゴキブリ!

あの、暑かった先週末の金曜日のことである。帰宅すると早くシャワーを浴びたくて風呂に向かった。と、何とゴキブリがいるではないか! それもデカイ! 以前、ゴキブリが大発生したことがあったが、ホウ酸ダンゴを買ってきて部屋のあちこちに置いたところ、見事翌日から全く見なくなった。みんな死んだはずであった。今いるやつはその大きさから見ると、この時を生き延びてきたやつに違いない。賢いやつで、ホウ酸ダンゴを怪しいと見て相手にしなかったか、或いは口にして苦しんだものの、何とか生き延びた、生命力の強いやつだ。許すわけにはいかない。僕はとっさにシャワーを手にとって排水口からこいつを流す作戦に出た。

ところが、さすがにここまで生き延びてきたやつだ。しかも賢いやつだ。僕が何を考えているかはよくわかっているらしかった。何とか風呂の壁面に辿り着き、そこから這い上がろうとする。僕は僕で許さじと、シャワーの水で叩き落とそうとする。ここに長時間にわたる格闘が始まった。やがて、水攻めでぐったりしたのか、ゴキブリは全く動かなくなって、ぷかんと水に浮いている。死んだか? いや、僕はよく知っているのだ。ゴキブリの生命力の強さを。あのホウ酸ダンゴを生き抜いてきたゴキブリである。こんな程度で死ぬはずはない。死んだふりをしているに違いないのだ。僕は見守った。風呂の底に溜まった水がどんどん退いていく。ゴキブリも排水口に向かって流れていく——。と、正に、排水口から落ちていきそうになったその瞬間、こいつはそこから這い上がろうと、見事な素早さで動き出したのだ。やっぱり!

2回戦が始まった。同じ事が繰り返される。やはり風呂の壁から上がろうとするゴキブリ、うまく行かないと見るとまた死んだふりをする。が、排水口近くに来るとまた動き出す。こうしたことが繰り返されるうちに、僕はこのゴキブリにだんだん共感を覚えてくるのであった。何度叩かれても叩かれても、死んだふりしてまでも、這い上がってくるこのゴキブリ。しかも、排水口のところで動き出すところを見ると、自分にとってどういう状況が一番まずいかもよくわかっているのだ。このしぶとい、諦めることを知らないゴキブリを見ながら、自分はどうなんだ? 何でも簡単に諦めたりするようだと、このゴキブリ以下ではないか、なんて声が聞こえてきたりする。

私の執拗な水攻めに、最初は巨大な、黒光りしていた憎たらしい面構えのゴキブリも、弱々しく、ボロボロであわれな姿となっていた。本当に、こいつを殺す必要があるのか。同じ生命ではないか、などと憐れむ心が生まれてくる。わかったよ。負けたよ。俺の負けだよ。見逃してやるから早くどっか行ってくれ。しかし、ボロボロのゴキブリはもう風呂の壁を上がっていくだけの力はないようであった。上がろうとしてはズルッと下に滑って落ちる。やがて這い上がるのはやめて、同じ場所でじっと回復を待っているようであった。そしてそのうちにまたゆっくりと登り始めた。今度は確実に登り始め、やがて壁を伝い、天井近くまで上がっていった。そこでこいつは再び止まった。膠着状態であった。なるほど、僕がここにいる以上は、こいつも逃げ道がないのであった。この状況を打破するには、どうにかして僕に逆襲するしかない、という感じである。そのチャンスを窺っているようではないか。そしてそれは同時に、回復の時間を稼いでいるようでもあった。そして、おお、見よ! 先程はボロボロで哀れ催していたこいつは、今また黒光りする憎たらしい姿へと戻っているではないか!

騙された! 膠着状態を破ったのは僕の方だった。再びシャワーの水で排水口へと叩き落とした。うまく排水口へと誘導できた。こいつも必死でそこから脱出しようとする。僕はと言えば更に水圧を上げる。そのうちにドンという音がしてゴキブリは消えた。多分、一旦はパイプに詰まったあいつが水に流された音だろう。

かくして、このゴキブリは見えなくなった。が、暫く僕は排水口を見守っていた。これほど長時間にわたって戦い続けた生命力の強いあいつのことである。死んだふりして排水パイプに潜んでいて、また再起の機会を、そして復讐のチャンスを窺っているに違いない。そう、僕が寝入った頃襲ってくるかもしれないではないか。確かに死ぬところを確認できない状況を作ったのは失敗であった。

とは言え——。あのゴキブリが生きていて復讐されることを怖れているということは、生きていてほしいと心のどこかで願っているということではないのか? そんな自分に気づいておかしくなってしまった。そうなのだ。あの長時間にわたる戦いの中で、あいつは僕に何かを教えてくれたゴキブリなのであった。

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August 14, 2007

メタバース、SF、そして人間の想像力

セカンドライフが盛んに話題に上るようになるのと同時に急速に広まってきている言葉があります。「メタバース」です。やたらと、これからはメタバースだメタバースだ、と言われるようになってきたのはいいのですが、そもそもメタバースとはどういう意味なのか。仮想現実の3D空間という意味で用いられているようですが、もともとどういう英語なのか。更に、セカンドライフの関連で「メタバーズ(Metabirds)」という会社もあるので、話はますますややこしくなります。

「メタバース(Metaverse)」はもともとニール・スティーブンスンが1992年に発表したSF『スノウ・クラッシュ』で導入した概念、言葉で、セカンドライフがそうであるように、アバターを通じて仮想空間の中で他のアバターと面と向かって会話し、社会的、経済的生活を、あたかも現実生活と同じように、更には現実生活で生ずる様々な制約から離れて活動できるような仮想空間のことを言うようですね。現実世界の「ユニバース(universe)」に対して「メタな」つまり、コンピュータ世界に転換された「宇宙」という意味で「metaverse」となったのでしょう。お恥ずかしながら、私自身このSFは読んでいないのですが、ここで提唱されたメタバースの概念の殆どが実現しているのがセカンドライフと言えそうで、それがセカンドライフと共にこの言葉が普及し始めた理由でもあるのでしょう。(原作はハヤカワSF文庫から出ていましたが、残念ながら現在は品切れのようです。)

しかし、それにしても、1968年のフィリップ・K・ディックの『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』、その約10年後にこれを映画化した「ブレードランナー」、1982年のディズニー映画「トロン」、1984年のウィリアム・ギブスンによる『ニューロマンサー』、そして1992年のニール・スティーブンスンの『スノウ・クラッシュ』と、ほぼ10年単位で発表されてきた影響力のあるSF作品が描いてきた世界が、とうとう現実のものとなってきたというのは感慨深いものがあるのと同時に、近年ヒットした映画「マトリックス」なんかが急に色褪せて見えてしまう。今ここに挙げたような作品群の方が余程予言的に思えます。(正直言うと、『ニューロマンサー』は以前、最初に読んだ時はよくわからなかったのだ。今読み返すと「グリッド」とか「マトリックス」とか、重要な概念は全てここから出ている。)

インターネットが普及して、人類はSFの世界に追い付いた、もうSFなんてつまらないと思ったけれども、とんでもない。人間の想像力というのは常に先に先に新しいものを生み出していくものなのですね。そしてその想像の世界を実現していこうとするのもまた人間。人間の想像力って素晴らしいですね。

そんなわけで、久し振りにSFを読みたくなったタンゴ黒猫であります。


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August 13, 2007

増える無料サービス

業務用のソフトウェアには、スタンダードと言えるものがあります。事務処理だったらマイクロソフト・オフィス(ワードやエクセル、パワーポイント等)、画像処理だったらフォトショップといったところですが、これに更にクリエータ系のイラストレータや、フラッシュ、それから文書処理という意味ではアクロバットなんかを加えてもいいかもしれないですね。今挙げたようなソフトは何れも割と普通に、どこのオフィスでも使用するほど普及しているにも拘らず、どれも高価ですね。マイクロソフトのオフィスなんかは、少なくともWindowsのOSには標準添付していいんではないかと思いますし、アドビのものも、組み合わせて使うケースが多いことを考えると、これらを全部揃えるのには、かなりの出費となりますね。違法コピーが絶えないのには、こうした普通に使われているソフトがあまりにも高いことも一因だろうかと思うことがあります。

その一方で——。

世の中無料のサービスというのがどんどん増えてますね。この状況を最も牽引しているとも言えるのが、やっぱり、グーグルですね。実は、今日Google Docs & Spreadsheetsを使ってみました。これはワードやエクセルがインストールされていなくても、Web上でワードやエクセルのファイルを開いて編集できるもので、なかなか強力です。ワードもエクセルも、それぞれ完成の域に達しているソフトですので、それに比べるとまだまだ操作性などの面で不十分なところもあるでしょうが、それも時間の問題と感じました。私はエクセルでいろいろな自動処理をさせることが多いのですが、Spreadsheetsは、かなりの関数機能が組み込まれており、かなりのことができるように思いました。で、勿論、Web上で作業してWeb上に保管されるわけですから、例えば外出先でいつも使っているパソコンがない場合でもインターネットに接続できさえすればどこでもその資料を利用できるわけです。これは考えようによっては、そして使い方によってはすごいです。イントラネットやLANでつながっていなくても、グループで利用して常に資料を最新に保つこともできるわけですからね。

グーグルは例の「グーグル・アース」や、本の中身も見ることができる検索システム、グーグル・ニュースやユー・チューブ、簡単な翻訳ツールもあって、これらの便利なツールを何れも無料で提供しています。ともするとグーグルのサイトにアクセスすれば、大抵の用は足りてしまうほどになってきています。

便利なソフトなのだから高いのは当たり前——もうそんな常識は崩壊しつつあります。ブログのサービスも無料なのはもう当たり前ですし、ユー・チューブなどの動画配信も同じ。そう言えばセカンドライフも無料で遊べますね。こうした便利な無料サービスがどんどん当たり前になってきているのが今の時代ではないでしょうか。そして無料が当たり前になってくると、わざわざ高いソフトをお金を出して買う人も減ってくるのではないでしょうか。

グーグルも、マイクロソフトも、アドビも、みんな、頑張れ!


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August 12, 2007

暑い!

暑い日が続いています。ここのところ毎日のようにニュースのトップに出るほどです。私自身はと言えば、仕事で昼間は部屋の中にいることが多いのであまり感じることがなかったのですが、日曜日の今日は久し振りに日中散歩に出ました。確かに暑い。

そう、確かに暑いのですが、皮膚に太陽の熱を感じ、それがじわっと身体の中に入っていくのを感じると、寧ろ心地よくさえ感じます。ああ、そうだ、忘れていた、この感覚だ。太陽の光と熱とが身体にしみ込む感覚——。

ものを買いにお店に入ると強烈な冷房。寧ろ、こちらの方が具合が悪くなるようです。異常気象だとか何とか天気が悪いような言い方をしますけれども、本当はおかしいのは私たち人間の方かもしれないですね。私たちは自然を、地球を我が物として自分たちのやりたい放題にし過ぎたのではないでしょうか。

散歩しているとあちこちに蝉の死骸が目に入ってきます。というか、家を出たところ、私の家のドアのところに既に2匹も死骸が落ちていました。今年は6月に雨が降らず、梅雨が来ないのかと思っておりましたら、7月には雨の日が続き、今度はなかなか梅雨明けしない。で、梅雨が明けたと思ったらいきなりの暑さと蝉の大量発生。話には聞いていましたが、こんなに身近にあちこち死骸が落ちているとはちょっと驚きでした。

蝉というとはかない命の象徴のように思われますが、どうしてどうして。それは地上に出てからの生活しか私たちが見ていないからですね。多くの蝉が7年地下で暮らしているのは有名な話ですね。しかし種類によっては11年とか17年とかもっと長いものもあります。注目すべきはこの7とか11とか17とか、何れも素数であるという点ですね。

全ての生命に共通するのは、次の世代へと生命をつないでいく、つまり子孫を残すのが最大の仕事であるということですね。どんな生物でも、厳しい環境の中で、確実に、しかも様々なヴァリエーション(多様性)をもって子孫を確保しようとします。蝉の場合は、同時に大量発生して、食べ物をはじめ環境を利用し尽すことで、逆に自らの生命維持に危険をもたらさないよう、種類によって見事に素数の年月で分れたようですね。もし2年ゼミ、3年ゼミというのがいたとしたら、これらの蝉は6年ごとにベビーブームを迎え、それが種の存続に危機をもたらしますが、例えば7年ゼミと17年ゼミのベビーブームがぶつかるのはその最小公倍数である119年に一度、ということになります。蝉が長い間地中で過ごすのは、正に確実に子孫を残すため、ということになります。

果たして私たちはどうか。あまりに地球の資源を濫用し過ぎてはいまいか。そして子孫のことより今自分が生きることに夢中ではないか。それでいて、自然に、環境に、不満ばかり抱いてはいまいか。

折角の夏だ。もっと日の光を浴びよう。この暑さを楽しもう。そして汗を流そう。こういう時の汗こそ、身体の中に溜まった悪いものを外に出してくれるのだ。汗をかかないようにすることこそ不健康だ。そう言えば、若い頃、こんな夏の暑い日、バドワイザーの缶を1本だけ空けて、太陽の下で汗をかきながら昼寝したのを思い出す。飲んだものも全て汗となって吹き飛び、目を覚ます頃にはすっかり酔いも抜けているのだ。太陽は、やっぱり、いい。

暑い夏の久し振りの散歩。ふとそんなことを考えながら歩いていたのでした。


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「高句麗伝説」ヨルダン・ジェラシュ遺跡コンサート

昨晩はセカンドライフで花火大会があったという話を書きましたが、私には更にその後もう一つイベントがありました。それは、高麗恵子さんといだきしんさんによるヨルダンでの「高句麗伝説」コンサートです。昨晩の深夜3時からインターネットでライブ中継されたものを縁あって見ることができました。

ヨルダンのジェラシュ遺跡でのジェラシュ・フェスティバルの一環として行なわれたこのコンサートの映像は、夢の世界か、或いは神々の国か、どこか不思議で幻想的な、美しく明るい世界を現出していました。その中での高麗恵子さんの詩の朗読も、いだきしんさんの演奏も、どこまでも明るく、やさしく、心地よいのでした。光溢れる世界は、もう、遠いどこかの話ではない、私たち一人一人がそのように生きようとするならば、今ここにあるのだと確信させる、心地よい、幸せなひとときでした。

その高麗恵子さんといだきしんさんのお二人による「詩と語り」の催しが、帰国直後の8月17日(金)横浜市開港記念会館にて行なわれます。この古く趣のある建物での催しでは、私はいつも落ち着いた中で深い体験をさせて頂いています。是非お誘い合わせの上いらして下さい。詳しくは、株式会社いだきのホームページをご覧になるか、またはこのブログへのコメントでお問い合せ下さい。

それでは、また。


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セカンドライフでの花火大会

昨晩はセカンドライフの日本人居住区で花火大会がありました。50万発という驚異的な数の花火を打ち上げることができるのも、そして日本人居住区ではどこにいても見られるというのも仮想世界のセカンドライフならではですね。セカンドライフならでは、と言えば、花火を目の前で見ることもできるのもセカンドライフのいいところ。つまり、花火を見上げるんではなくて、上空に飛んで行って、花火を正面から見ることもできるのです。実際、私以外にも、同じ地域の人は半数以上の人が飛んでみてましたね。一度間違って真下に行ってしまったりしましたが、これはこれでなかなか迫力がありました。何と言っても花火が上から降ってくるわけですから。現実世界だったら危険極まりなく、そもそもそんなエリアに入ったら注意されること間違いなしですが、火の粉が降りかかってきても火傷しないのも仮想世界のいいところですね。こんな経験は他ではできないでしょう。

というわけで、その花火大会の模様をいくつか写真に収めてきましたので、ご紹介することに致しましょう。「スナップショット」という機能を使うと見えている画面を画像ファイルに保存できるのですが、いちいち「スナップショット」ボタンを押すのは面倒で、また操作性も悪いので「Contrl」+「Shift」+「S」というショートカットを使います。それでも、うまくシャッターチャンスに合わないのは、現実世界のカメラと同じ……。(笑

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070812b

こうして写真に撮ると、花火というよりは色と光の渦のような感じになりますね。火花の一つ一つを絵で表現してそれを動かしていくわけですからすごく手が込んでますよね。

手が込んでいると言えば、仮想世界の花火にも「型もの」があるのには驚きました。これは、よく猫の顔とかニコニコピースマークとか、更にはどらえもんやアンパンマンといった絵を浮かび上がらせる花火ですが、セカンドライフの花火にもこうしたものがありました。あんまりうまく撮れてませんが、次の写真の左の方、何だか顔みたいなものが写っていますでしょう?

070812c

セカンドライフでは現実世界にある大抵のものは実現可能のようですね。しかも現実世界とは違う技術でできてしまいます。花火を打ち上げたのは現実の世界では花火の技術なんかない人でしょうし、建築設計の知識のない私が自力で建築を進めているのもそんな例の一つですね。建築については、先日セカンドライフ内で知り合った人と話して笑ったのですが、造って失敗したり気に入らなかった場合は、ぶっ壊してまた別のを造ればいいのです。現実には壊したらいろんな廃棄物が出ますし、壊すのにも新たに造るのにもきっと何億というお金もかかるでしょうが、そんなもの気にする必要もない。セカンドライフは、リスクを負わずにいろんな可能性を試せる場であるとも言えますね。だからこそ、この世界に入ってくることが、個人にとっても企業にとっても重要なことになってくるわけです。

最後に、花火と言えば、私の分身Hiroshi Kumaki君の敷地内ではビデオを見ることができますが、現在、私が以前ネット音楽雑誌・月刊「DAICHI-大地-」で発表した「花火」という曲に、昨年某所での花火大会で撮影した映像をつけて編集したものを見ることができます。Hiroshi Kumaki君の敷地は「Toshimaku」の、中央に案内板が置いてあるところを右手に入った2つ目の場所です。その場所にテレポートするためのSLURLはhttp://slurl.com/secondlife/Toshimaku/183/139/22です。まだ建造途中で何もありませんが、大きなスクリーンが置いてあり、その前に立つと、画面の右下にビデオをプレイしたり停めたりするボタンが現われますので、プレイボタンでビデオ見ることができます。よろしかったらお立ち寄り下さい。

それでは、また。

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August 11, 2007

「思い」ということ

8月——夏休みでテレビでは戦争に関するものをはじめ、いろんな特集が組まれているからかもしれないのですが、最近やたらと「思い」という言葉を聞くようで気になっています。日本人はこの「思い」という言葉が好きだなぁ、と常々「思う」のです。そう、今私自身がそう書いたように、日本人の文章には「思う」というのがやたら登場しますね。以前、自分が書いたものを英語にしようと思って気づいたことがあります。短い段落の中に何度も「思います」「思う」という表現が出てくるのに、英語にするとこれらの言葉は全て省かれ、全て断定的な表現になるのですね。日本語では「思う」と書かないと落ち着かないのか。一方、「思い」の方は、これはもう、かなわぬ恋、あこがれのあの人への「思い」が繰り返し詠われたあの古代からの伝統、というよりは遺伝子的に私たちの身体の中に入ってしまっているのでしょうか。

今、「思い」について、かなわぬ恋を連想してしまいましたが、しかし、「思い」の正体は正にそうなのです。これはいだきしんさんを講師とする「いだき講座」を受講した時に学んだことなのですが、「思い」は「重い」なのです。つまり、動かない、実現しないものです。「思いが強い」という状態は、もう頭の中がいわば妄想で一杯になって、全く動けないことを言うのです。これは私自身経験してきたことです。今のこの時期、「平和への思い」という言葉がよく聞こえてきますが、私たちは「平和」を、もう、思うだけではなくて、実現するために動かなければなりませんね。

「思う」に対する言葉は「考える」となりますが、これも同じ頭の中でのことではないか、とおっしゃる方もあるでしょうが、同じいだきしんさんによると、「考える」とは「動く」ことなのだそうです。動かないと考えられない。じっと頭を抱え込んでみても、何にも考えられない、確かにそうですね。頭の中だけでいろいろ思ってみても、ああでもない、こうでもない、もしこうなったらどうするか、とか、グルグル回るだけで疲れてしまいますけれども、実際に動いてみると、良くも悪くも必ず何か結果が出ますから、その結果を見てまた次どうするか考えられるわけです。この繰り返しで、必ず現実は動いていきますね。

テレビで話している人たちのことをじっと聞いていると、どうも「思い」と「考え」がごっちゃになっているようですね。「思い」が、本当に勝手な個人的な思いの人もいれば、ちゃんと「考え」になっていて、実現に向かい行動している人もいますもの。でも、どちらにしても、単なる妄想に終らせず、実現したいのは誰しも同じでしょう。そのためには、「思い」「思う」という言葉を使わないよう気をつけてみること。そして、自分の頭の中にあることが「思い」なのか「考え」なのか、考える癖をつけることでしょう。

多くの人が心の中で夢に描いていること、それが「思い」でなく、「考え」として実現していく——その時この世の中はもっとよくなるのではないかと思い……、いえ、考えます。

それでは、また。


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August 10, 2007

ブログの効用

実はこんなことがありました。

前に、ベートーヴェンとヨゼフィーネ・ダイム伯爵夫人との恋について書いたことがありましたが、この時、改めてジュリエッタ・グィッチャルディとかテレーゼ・フォン・ブルンスヴィックのことをネットで調べていたのですが、グーグルで出てきたリストの中に、あ、これ、いい線行ってそうだな、私と同じようなことに興味を持つ人がいるもんだな、と思ってよく見たら、何と自分が前に書いたブログの記事でした。(笑 で、翌日、ヨゼフィーネのことで検索していたら、何と前の日に書いた自分の記事がやっぱり出てきたのですね。更には、先日、セカンドライフのジェスチャーについて書いてる人がいないかと思って調べてたらやっぱり自分の記事が出て来ました。

ブログというのはすごいなぁ、と改めて思うのですね。記事を書いて1日2日したらもうグーグルの検索に引っ掛かるのですからね。いや、ブログのしくみもすごいし、グーグルの検索システムもすごい。で、自分の記事が上位に上がってくるほど(登録件数の少ない)マニアックな記事を書いたりマニアックなキーワードで検索してる自分もすごいなぁ、と我ながら呆れているところです。

冗談はさておき、こうしたブログの検索にかかりやすいしくみを大いに利用したいものですね。殆ど、日々思いつくままに綴っているだけですが、本当に自分が人に伝えたいことを、求めている人が検索しやすいキーワードをちゃんと入れながら書いていくことがますます重要になってきていると感じるのです。折角ネットという、何億もの人が見られる舞台で書いているのですからね、もっともっと大事なことは人に読んでもらえるように書かないと、と思うのです。

それでは、また。

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August 09, 2007

セカンドライフに障害〜そして日本の若者たち

セカンドライフ、また障害が出てますね。今回はログインができないということで、こうなるともうどうしようもありませんね。原因はまだ不明なようで、リンデンの方々も最善の努力を払われているようですが、かなり難しいようですね。やっぱり急に人口が増えたことが影響してるのかな?

さて、何度も書いていますように、セカンドライフでは人種も階級や職業も、性別も、そして姿形も、自分の好みで生まれ、生きることができるわけですけれども、そんな仮想世界で遊ぶ一方で、現実の、若者たちが集う街、渋谷を歩いていると、おもしろいなぁ、と思うことがあります。

それは、渋谷を歩く若い人たちのファッションというのは、本当に自由だなぁ、と思うのです。金髪で、青い眼をして、本当に欧米人みたいな人がいる一方で、アフロな人もいたり、ラスタな人もいたり、日本の若者というのは、何人の格好をしても決まってる、カッコイイなぁ、と思うのです。これは、例えば、黒人が無理して髪をストレートにして、肌も白くしようとしたり、或いは逆に白人が黒人や東洋人の真似をしようとしても様にならないということを考えると、実はすごいことなのではないでしょうか。そう言えば、日本の女性の皆さんはご存知でしょうか? 欧米の女性が憧れる髪というのは、本当のブロンド——本当のブロンドというのは欧米人にも殆どいないのだそうです——か、東洋人のような、しなやかで黒い髪の毛だということを。それから、渋谷や原宿の若い女性たちのファッションは、ファッションの都に生きるパリジェンヌたちの憧れなんだそうです。

セカンドライフのような、もう一人の、こうありたい自分、という仮想世界がアメリカで生まれたのは、ある意味で必然のような気もします。何故なら、日本の若い人たちは、自分がカッコイイ、カワイイと思うスタイルを生きることができてるわけですからね。私たちはこの幸せにもっと気づいていいのかもしれませんね。

それでは、また。

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August 08, 2007

セカンドライフで土地を借りる!

ムフフフフ。実はセカンドライフに土地を借りたのです。現実の私は狭い1Kのアパート暮らしですが、分身のHiroshi Kumaki君は約千平米の土地を自由に使える身となったのです。

まだ殆ど更地状態ですので詳しい案内はしませんが、今日はそこでいろいろな実験を試みました。その土地の中でストリーミングによる音楽が聴けるようになるかどうか、同じくストリーミングによって映像を流すことができるかどうか、などです。音の方の設定はすぐにできました。引き続いてはビデオの設定です。いよいよセカンドライフで最初の建造にかかります。8m×6mのスクリーンを敷地の真ん中に建設、無事外部のWebサーバに置いたビデオが流れました。

とりあえず今日はここで終わりにしたので、今私の土地には何もないところに映画「2001年宇宙の旅」の石碑(モノリス)よろしくスクリーンだけが建っているのです。人は何と思うでしょうね。

で、ここからです。活動の拠点となる建物を造ることになります。セカンドライフで建築を専門にやってる人から買ってもいいのですが、折角ですからここは自分で建築に挑戦してみよう、ということで、これまでやったこともないのに今度は建築デザインに手を染めることになってしまいました。

で、すっかり気分は建築デザイナーとなってしまいまして、仕事の帰りに本屋に寄っては、実に久し振りに建築関係の雑誌に目を通して先端の傾向を頭に叩き込んだりします。おもしろかったのは、やたらとル・コルビュジエ関係の本が出てたり、特集が組まれていたことですね。これはどうも今六本木でル・コルビュジエの展覧会をやってるからのようですが、実は、そんなことを知らない私は、ここ3ケ月くらい、ずっと枕元にル・コルビュジエの『建築をめざして』という本が置いてあって、気が向いた時にパラパラめくっていたのです。不思議な偶然だなぁ、と思って。この本は古い本で、写真も古いのですが、そうでありながら、ル・コルビュジエのデザインは新しいなぁ、センスいいなぁ、と思いながら、そしてこの本に織り込まれたル・コルビュジエの建築に対する理念に、なるほどー、その通りだなぁ、と面白く読んでいたのです。

何て書いてしまうと、ル・コルビュジエ風の建物ができるのか、なんて期待させてしまいそうで、寧ろ本当に素人ですのでそんなものは期待すべくもないのですが、自分で建物をデザインするということにちょっとワクワクしているタンゴ黒猫であります。

最初に書きましたように、まだ案内できる段階ではありませんが、何か進展がありましたらここに書くことにします。それでは、また。


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August 07, 2007

男の魅力、女性の魅力

今日またセカンドライフ内で新しい人と知り合いになりました。例によって(?)女性キャラでしたが、なかなか可愛い動きをする人で、別れしなに「フレンドになってもらえますか?」と聞きましたら、「いいですけど、自分は男ですよ」とのこと。おもしろい人だったので、「勿論構いませんよ、よろしくお願いします」ということでフレンドになってもらいました。

自分の好きな性で生まれることのできるセカンドライフの世界ですから、リアルライフでは男でもセカンドライフでは美しい女性、という人は多いと思いますし、これまでセカンドライフ内で出会った女性の中にも本当は男、という人いるかもしれませんね。そうでありながら、今日のように敢えて男だと言われると、やはりちょっと驚かずにはいられません。

おもしろいのは、最初に書いたように、この女性キャラの人のことを可愛い人だ、と思ったことですね。ここで改めて男らしいとか女らしいとか、カッコイイとかカワイイというのはどういうことなんだろう、と私などは考えてしまうのです。

NHKの番組に「きよしとこの夜」というのがありまして、氷川きよしさんがホストで毎回いろんなゲストを招待してのバラエティ番組なのですが、この番組の最後に氷川きよしさんが女性ゲストに、男性のどんなところに魅力を感じますか、という質問をするのですね。で、その答に、男性視聴者である私は勿論、氷川さんもへぇー、という感じになるのです。大抵は男が思いもよらないところをカッコイイと感じてる。それを、タカラヅカの男役の方なんかが語ると説得力があるのですね。なるほど、あのタカラヅカのカッコよさ、美しさは、女性の目から見て男のここがカッコイイと感じてるところを女性が演じるからなのですね。

今日のセカンドライフの経験で感じたのは、リアルライフで男の人がセカンドライフで女性となるような人は、女性のこういう仕草、こういう立ち居振る舞いが魅力的なんだよね、美しいんだよね、と感じてる人なのかもしれないですね。そこにまた私のような男が反応してしまったのかもしれない。

男が男のこういうところがカッコイイと思ってることと、女性がそう感じてること、女性が女性のこういうところがかわいい、美しいと思ってることと男がそう感じてることは実は違うのでしょうね。そしてそれぞれが相手のためにいいと思って頑張るわけですからね。でも、きっと男には女性がいいと思ってること、女性には男がいいと思ってることは、一生、わからないのかもしれません。

で、あればこそ——。自分のことを好いてくれている異性がいてくれるということはありがたいことですね。一体自分のどこがいいと思ってくれているのか。きっとそれは自分がいいと思ってることとは違うのでしょう。その人のことをよくわかることが、自分のよさをわかることにつながっていく、そんな風に思います。


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ミュージシャンの耳

誰でも自分で音楽をやってみようという人は、リスナーとして、どこかで強烈な音楽体験があった人だろうと思います。私自身、子供の頃聴いたベートーヴェンの交響曲や、一連のロック音楽が、こういうのいいなぁ、カッコイイなぁ、と感じたところから始まっています。それがやがて、自分もこういうのやってみたい、自分だったらもっとこうしたい、と変化していき、ミュージシャンとなっていくのですが——。

不思議なことに、音楽を聴いている側だった時と、音楽を演る側になった時とでは、耳が違っているのです。このことをミュージシャンは得てして忘れがちなのです。先程書いたように、こういう音楽を作りたいというところで音を作っていくわけですが、それがそのミュージシャンが意図した通りに一般のリスナーに聞こえているかどうかはまた別問題だ、ということです。

わかりやすく説明すると、リスナーであった時は、例えばベートーヴェンの曲なら、そのサウンド全体がドンと耳に入ってくるのですが、ミュージシャンになった途端に、あ、今フルートがどう鳴っている、それが第一ヴァイオリンとどう絡んでそれが更にホルンに受け継がれて——というように、楽器ごとにバラバラに分解して聞こえるといったらいいでしょうか。ロックも同じです。昔はエレキギターが鳴ってるのかシンセサイザーが鳴ってるのかすらよくわからず、やはりサウンド全体が好きだったりしたのですが、今は当然、どの楽器がどう鳴っているのかというのがはっきりと聞き分けられますね。

クラシックの世界で言うと、昔、ピエール・ブーレーズが指揮した一連のものが話題を呼びましたが、一般的にはストラヴィンスキーの『春の祭典』やシェーンベルクの『浄夜』などが好評だった一方で、ベートーヴェンの『交響曲第5番』やドビュッシーの『海』などは不評だったようですが、しかしこれらのどの演奏も一貫しているものを私は感じるのです。それは何れも、作曲家の耳で解釈——というよりはミキシングされた演奏だということです。つまりどれも、スコア(楽譜)を見ながら聴くと、一体作曲家が何を意図してその場所でその楽器のそのフレーズを書いたか、というのがはっきりとわかるのです。『春の祭典』などは、そのリズム構造など、それがはっきり見えるように演奏したからこそ、難解と言われたあの曲がぐっと身近になったわけです。逆に、『海』は、誰しもドビュッシー特有のボワンとした曖昧な音の響きを期待するのに、ブーレーズはその音の構造をはっきりと、クリアーに描き出すので聞き慣れない耳には反発を覚えるのでしょう。しかし、スコア片手に聴き直してみると、全くその音は、ドビュッシーの楽譜通りと言えるのです。

ブーレーズの話を出したついでに指揮者の話をすると、指揮者というのはオーケストラの曲を聴くのに最悪の位置に立っているのだそうです。まず、すぐ周りからはヴァイオリンなどの弦楽器の音がワッと襲ってくる。奥からはトランペットやトロンボーンの音が響き渡ってくる。その隙間からフルートやオーボエなどの木管楽器が聞こえてくる。それらをどういうバランスで聴衆に聴かせるか、これはもう想像の世界でしかないそうです。勿論、経験を積んで大指揮者となれば、その想像がピタッと合うわけですからね。自分が聴いているものと聴かせたいものが違うという中での仕事は、本当に大変なことだと思います。

同じことはロックやジャズのバンドでもあるのです。ロックやジャズでは電気的に拡声しますからね、ステージではモニタースピーカーを置いて、プレイヤーはそこでバンド全体の音や自分の出してる音を確認しながら演奏することになります。が、このモニターから出ている音というのが必ずしも理想的でなかったりするのですね。自分の音がよく聞こえないということもあります。かと言って音を上げてもらうとこれがハウリングを起したりしますし、結局、全体としてどういう音になってるのかわからないまま演奏を余儀なくされることもしばしばですね。時々私も立ち会う関根さんのNippon Soul Jazz Band のステージなどでは、私がステージと客席を行き来して、それぞれどんな音になっているのか確認しながらミキシング・エンジニアの人に調整をお願いすることもあります。

そんなわけで、ミュージシャンが聴いている音とリスナーが聴いている音は違いますし、ミュージシャンが聴かせたい音とリスナーが聴いている音もまた違うのです。本当は、ミュージシャンはその両方の耳を持っていないと、ただ自分の思いばかりが先行した、自己満足の音楽を作ってしまいがちになるのです。いくらミュージシャンがここの所で、この楽器のこのフレーズを聴いてほしいと思っても、リスナーは最初からそんな聴き方はしていないのです。リスナーは音楽が心地よければそれでいいのです。

以前、HIROさんが、いつも聴いて下さってる人が、自分が聴いてるようには聞こえていないということがわかったと驚かれていることがあって、その話を関根さんにしたら、関根さんはそりゃそうだよね、と言った後で、「そう言うタンゴさんの耳も完全にミュージシャンの耳になってるよ。これはね、もう戻らないんですよ。今から普通の人の耳で聞こうと思ってもそうは聞こえないんですよ。」とおっしゃいました。先程書いた「両方の耳」というのはあり得ないようですね。音楽することの難しさは、演奏の技術の問題よりも、本当はそこにあるのかもしれませんね。

そういう意味では——。こうしたことは音楽に止まらないかもしれないですね。例えばこうして文章で表現すること、日常の会話で表現していることも、もしかして、自分の思いばかりが先行して、その思っていることが相手にきちんと伝わっていないかもしれない。相手は全く違うように受け取って、それはそれで納得しているとしたら、それはコミュニケーションではありませんね。

表現するということは、自分の表現したいことが相手に正確に伝わるように表現するこということは、本当に難しいものですね。

それでは、また。


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August 05, 2007

自分の知らない言葉を知る〜シソーラスの話

さて、私のように曲を創ったり、CDの製作に携わったりしていますと、必然的にその曲やCDのタイトルを考える必要に迫られてきます。昔、ビートルズの曲を知った頃からそうだったのですが、名曲というのはどれもタイトルがいいなぁ、と感心してしまうのです。どこからこんなカッコイイタイトル、或いはロマンティックなタイトルを思いつくんだろう、と。あの人たちはイギリス人やアメリカ人で、英語が母国語なんだから当たり前じゃん、とも思うのですが、必ずしもそうではないのです。彼らだってタイトル選びには考えに考えてるはず。ではそんな時どうしているのでしょうか。

例えば、昔フィフス・ディメンションの「アクエリアス(Aquarius)」という曲が流行りましたが——古い! 年代がバレルぞ!——星の名前をタイトルにするなんてカッコイイなぁ、自分もこれにあやかって星をタイトルにして作りたいなぁ、なんて思ったとします。ところが、他にどんな星や星座の名前があるのか知らなければ、どうにもなりませんね。英和辞典は勿論、和英辞典も殆ど役に立ちません。知っている星座の名前を日本語で一つ一つ引いていたのでは3つ4つ引いたところで疲れてしまいます。できれば、星座の名前がズラッと並んでいるような辞典があれば——。

そういう時に、英米人が必ずと言っていいほど使っているのがシソーラス(thesaurus)という辞典です。これは、概念から求める単語や熟語に辿り着ける辞典、その単語や熟語自体を知らなくても辿り着ける、という辞典なのです。有名なのは「ロジェ」のシソーラス(Roget's Thesaurus)です。

例えば、その目次をめくってみると、まず、あらゆる言葉が次のような大きな概念に分けられています。

第1類 抽象的な関係(Abstract relations)
第2類 空間(Space)
第3類 物質(Matter)
第4類 知性:心のはたらき(Intellect: the excercise of the mind)
第5類 意志:意志のはたらき(Volition: the exercise of the will)
第6類 感情・宗教心・道徳(Emotion, religion and morality)

といった具合です。

この中で、例えば第1類の「抽象的な関係」は更に、

1. 存在(Existence)
2. 関係(Relation)
3. 数量(Quantity)
4. 順序・秩序(Order)
5. 数字(Number)
6. 時間(Time)
7. 変化(Change)
8. 因果関係(Causation)

といった具合に分れています。
今探そうとしている星座の名前、これは星というものの名前ですから、第2類の「物質」を見てみると、

1. 物質一般(Matter in general)
2. 無機物(Inorganic matter)
3. 有機物(Organic matter)

と分れています。「無機物」というのは石とか水とか土、空気、そういったものですね。「有機物」には動物とか植物とか含まれます。面白いのは、ここに有機物である人間が発生させるもの——香りとか音楽とか光や色も入ってることですね。で、星座や星は「物質一般」のところにあります。

319 物質(Materiality)
320 非物質(Immateriality)
321 宇宙(Universe)
322 重力(Gravity)
323 光(Lightness)

この頭の数字が概念番号=インデックスということになります。詳しくはまた後で説明します。で、ここでは「宇宙」のところを見てみると、ありましたありました。「宇宙」に冠する英語が、名詞、形容詞、副詞の順に、ズラズラ〜っと並んでいます。で、名詞は更に

universe(宇宙)
world(世界)
heavens(天空)
star(星)
nebula(星雲)
zodiac(十二宮)
planet(惑星)
meteor(流星)
sun(太陽)
moon(月)
satellite(衛星)
astronomy(天文学)
uranometry(天球図)
cosography(宇宙地理学)
earth sciences(地学)

のグループに分れていて、例えば「アクエリアス(Aquarius)」でしたら「十二宮」のグループに入っていますね。そこにピッタリくるものがなければ前後の項目に視野を広げていろんな星の名前を見ていけばいいわけです。

でもこうやって探していくのは面倒、できれば "Aquarius" から直接このページに辿り着けないか、と思うのも当然です。そこでこのシソーラスにはインデックスもついているので便利です。そこで "Aquarius" を引くと、

Aquarius
zodiac 321 n.

とあります。これは、概念番号321の名詞の "zodiac" のグループを見てください、という意味なのです。これで先程のページに辿り着くことができます。

同じように、例えば、「はじまり」というようなタイトルにしたいと考えたとして、とりあえず思いつく英単語が "beginning" だったとして、"beginning" をインデックスで引いてみると、

beginning
prelude 66 n.
beginning 68 n., adj.
new 126 adj.
primal 127 adj.
youth 130 n.
earliness 135 n.
source 156 n.

とあって、そのニュアンスによって概念番号も異なることがわかります。一口に「はじまり」と言っても、"prelude" なら「序曲」という感じ、"youth" は若いことですから人生のはじまり、"source" は何かの源、ということでしょう。一般的にはやっぱり "beginning" の項を調べることになるのでしょうか。

こんな感じで、自分の知らない言葉を知ることができるのがシソーラスです。ご紹介した英語の Roget's のものはペーパーバックでも何種類か出ていて1,000円程度から買えるので持っておくと便利です。和英辞典に出ているよりも多くの言葉の中から自分にピッタリの言葉を見つけられるからです。(但し、この時、"Roget's II" というのは、辞書形式になっているので、できればここでご紹介したような、概念別の形式になっているものの方がいいと思います。)日本語ではこの分野の辞書があまり充実していないのが残念ですね。最近は少しずつですが出てきてはいますが。

それでは、今日はこの辺で。


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August 04, 2007

セカンドライフでのアルバイト「キャンプ」について

さて、今日はセカンドライフ内でのお金の稼ぎ方として有名な「キャンプ」についてお話ししたいと思います。キャンプは、もともとはその地域での交通量、人口を増やすためにお金を払って一定時間その場にいてもらう、いわばサクラとしてその土地のオーナーがお金を払って雇うものです。よくあるのは椅子にじっと座ったり、一定時間その場で踊ったり、というものですね。私はあるビーチで20分ベージング・タオルの上で寝そべっていたら2ドル、というのをやりました。20分DJをやって5ドルというのもあります。効率悪いですが、まぁ、大体そんなもんです。あくまでもてっとり早くお金を手に入れる手段であって、これで稼げるわけはありません。なにしろ2リンデン・ドルというのは1円になるかならないか位のお金ですからね。1時間やって3円稼げるかどうか、って話でしょう。

とは言え、これもうまく使うとなかなかおもしろいですね。じっとしているわけですから、普通なら放っておいたら昨日話した "Away" の状態になり、これではお金を払ってもらえません。そこで「デバッグ・モード」というのにしておくと、アバターを放ったらかしにしておいても "Away" にならず、ずっとお金を稼ぎ続けてくれるのです。ということは、必ずしもアバターに付き合わなくても、自分が寝ている間とか、昼間会社に行っている間にセットしておけば、その間にアバターはじっとその場でキャンプして稼いでくれるというわけです。

そうなのです。セカンドライフでは男に生れることも女に生れることも、空を飛ぶことも、一瞬で好きな場所にテレポートすることも、超セレブとして生きることも、どんな仕事に就くことも自由だ、と前に書きましたがそれだけではないのです。アバターは食べなくても寝なくてもいいのです。みなさんは、食べなくてよかったら、寝なくてよかったら、どんなに24時間有効に使えるか、と思ったことはありませんか。または、今自分がここで何かしている時に、もう一人の自分が別の仕事をやってくれたらいいな、とか。正に、セカンドライフではそういうことが可能になるのです。私自身は同じ場所で何もしないでじっと寝てるなんてバイトはとてもできそうにありませんが、私のアバター君は私が寝ている間もそうやって稼いでくれるのです。

ただ、キャンプについて一つだけ注意しておきたいことがあります。それは時々 "camping online" というのがあることです。そう、"online" という言葉が気になりますよね。これは、実は、ちゃんといないとお金にならないパターンのものなんですね。例えば20分単位の支払なら、20分経った時点で、"Are you a human?(あなたは人間ですか?)" とか "Are you a robot?(あなたはロボットですか?)" といった確認メッセージが表示されるのです。勿論、いくらでもじっとしてられるロボットならお金は払われないわけですし、このメッセージに応えない場合は、自動的に退席させられ、お金はもらえません。このメッセージは不規則に内容が変わるので、人間かと聞かれたら "Yes" を、ロボットからと聞かれたら "No" のボタンをクリックしないといけないのです。このパターンの場合はアバターを放ったらかしにしておくわけにはいきませんね。私はこのパターンの場合は始めた時間をちゃんと確認しておき、他の作業をしながら、20分なら20分経過する2、3分前にはアバターのとこに戻って確実にメッセージに応えられるようにしています。ちゃんと応えるとその時点でお金が支払われます。

さて、このように見てくると、セカンドライフは本当に何から何まで自由な世界だな、と思います。もしこうだったら自分はこんなことができるのに、なんて自分の現実に対する言い訳は通用しないということです。大抵の人がこうだったらいいと考えるようなことは、セカンドライフでは前提条件として保証されてると言ってもいいのです。なのでここでは、その「こうだったら」が全て満たされたところで、「何をやるのか」が問われてくることになります。「何をやりたいのか」というのがないと、セカンドライフもおもしろくはないかもしれません。逆に、何かやりたいことがある人にはこんなに楽しいものはないかもしれません。

最初に書きましたようにキャンプはあくまでも持ち金0円で始まったセカンドライフでの当面のお金を手に入れるための手段に過ぎません。キャンプしてセカンドライフの世界を彷徨いながら、さて、この世界で自分は何をやって生きていくのか、現実の世界で本当は何をやりたいのか、それを考えることが大事だと思います。その時初めてセカンドライフは自分の可能性を開いてくれるのだと思います。

1週間にわたってセカンドライフの話題を続けてきましたが、他に書かなければならないこともいろいろありますので、とりあえずここでこの話題はひとまず終了ということにして、また新たな進展がありましたらご報告させて戴こうと思います。

それでは、また。


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August 03, 2007

セカンドライフの英語

セカンドライフで時々困っている人の相談にのることがあります。また、オフラインでも直接メールで相談を受けることがあります。共通してよく言われるのが、英語がよくわからない、面倒、ということですね。まぁ、世界中の、いろんな背景を持った人と直接コミュニケーションできるわけですから、ここは逆に英語の練習の場だ、くらいに考えて頂いて、どっちにしても、英語が母国語でない人もかなりいるわけですし、実際に喋るんじゃなくて「書く」わかですからね。相手も待ってくれるので、あんまり神経質にならずに下手でも適当でも、チャレンジしていったらいいと思います。

とは言え、やはりゲーム英語、チャット英語といった、普通には接しない表現もあって、私自身戸惑ったこともあります。そこで今回は特によく出てくる言葉を順不同でまとめておこうと思います。


1. よく出てくる英語

■rez(レズ): もともとは "resolve" という他動詞から来た言葉です。"resolve" はもともと「固まっているものを解放する」という意味なのですが、そこから「溶かす」、「変化させる」、「自由にして放つ」というような意味に転じていきます。で、ここでは「セカンドライフの世界に出現させる」という意味になります。そこで、

1. オブジェクト(プリム)を何か作る
2. 持ち物からオブジェクトを出して使う
3. 自分自身がセカンドライフの世界に現れる

といった意味で使われるようです。

■away(アウェイ): 立ったままでも、座っていても、自分のアバターをそのまま放っておいて何か他の作業をしていると自分の名前の後にカッコ書きで "Away" と書かれていることがあります。これは "Away from keyboard"、つまり、キーボードから離れていて、今ゲームには参加していない、ということですね。実際の生活でも、身体はここにあるのに、心はどっか他のところに行ってる時ってありますよね。あれとおんなじです。実生活では、「ねぇ、ちょっと、ちゃんと話聞いてる?」と確認することになりますが、セカンドライフでは名前の後にこうして "Away" と表示されるので、見てわかるのがいいですね。(笑

因みに、意図的に "Away" したい時は、「ジェスチャー」から "afk" を選ぶとよいです。勿論 "away from keyboard" の略で、すぐに自分の名前に上記の "Away" が表示され、首がうなだれた状態になります。(つまり寝ちゃうわけだ!)

■furry, furries(ファーリー): 文字通りには「毛皮を着た人」ということでしょうが、動物型のアバターを着た人のことを言います。結構多いんですよね、動物になりたい人。(笑 何だかスターウォーズやスタートレックに出てくる不気味な宇宙人みたいな人もいたりして。個人的には完全に動物になってるより、ヒト型なのに何故かネコの尻尾を靡かせてる若い女性とかに惹かれてしまいます、ハイ。(笑

■newbie(s)(ニュービー): セカンドライフ初心者のことです。こういう看板があったりしたら近づいていってみましょう。初心者向けの情報があったり、お互い初心者の人が集まってて意見交換できるかも。

■freebie(s)(フリービー): 上と似てますが、これは「無料アイテム」のことです。タダでゲットできます。

■grid(グリッド): もともとは「格子」の意味ですが、ご想像できるようにセカンドライフ内の場所を示す座標の意味となり、更にはセカンドライフ内の全てを表わす言葉となります。リンデン・ラボの公式ブログではセカンドライフの動いている状況を表わすのに "grid status"(グリッドの状況)という言葉を使用しています。更に、先日のような世界的な、全てのサーバで障害が出ているような場合には "worldwide" ならぬ "gridwide" なる言葉が使われています。

■lag(ラーグ): 「遅れ」のことです。よく話題に出てきます。自分が操作してから実際に動いたりするまでの時間差です。サーバが重くなっているとこのラグが発生して、思うように動けなかったりします。

■parcel(パーセル): 学校で習ったのは「小包」という意味ですが、ここでは土地の区画を意味します。「敷地」という日本語がピッタリくるかもしれません。"You are not allowed to enter this parcel.(この敷地内に入る権限がありません。)" など。

■IM: 勿論 "Instant Message(イスタント・メッセージ)" のことです。チャットは側にいる人としか話せませんし、話した内容は周りの人に聞かれてしまいますが、IMは相手がその場所にいなくても送れるのと、その場にいても他の人に聞かれずに会話できます。また、相手がオンラインでない場合は相手が登録しているメールアドレスに転送されるしくみになっています。

■lol: よく英語のチャットの終わりに出てきます。"lots of laugh" で「大笑い」、日本人がメールなどで使う「(笑」とか「w」とかに当りますかね。

■Ty: これもよく出てきますね。"Thank you." です。


2. ジェスチャーの英語

前に、早めにジェスチャーを自分の好みに設定しておいた方がいい、という話を書きましたが、考えてみたら、このジェスチャーがまた英語でよくわからない、という人も多いでしょうね。というわけで、ややこしそうなものだけここに記しておきます。

■/blowkiss: 投げキッスです。
■/bored: 「あ〜あ」という退屈を示す仕草です。
■/embarrassed: 「やだぁ、恥ずかしい!」という感じですね。男がこれをやるとちょっとキモイかも。(実はやってみた。)
■/excuseme: 「失礼」ということで、咳払いをします。
■/extinguish: 「火を消す」ということですが、何のことかと思ったらタバコの火を消してタバコをポケットに戻す仕草です。で、この逆が、
■/smoke: タバコをポケットから出して吸う仕草です。
■/frown: 顔をしかめます。
■/getlost: 「失せろ! あっち行け!」ですね。
■/kmb: これがわからなかった。"Kiss my butt!" = "Kiss my ass!" という侮辱の言葉ですね。相手にお尻を向けてぺんぺん叩く仕草をします。あんまり使いたくないねー、これは。
■/muscle: 「筋肉」ということですから、ご想像つくでしょう。力コブをつくってみせるのですが、イッパツで決めればいいのに3回もくりかえすから却って笑っちゃいます。
■/nya: これは「あっかんべー」ですかね。ヘンな顔をつくっておどけます。その「べー」に当るのが、
■/sticktongue: 文字通り舌を突き出してヘンな顔をします。
■/repulsed: 嫌な顔をして拒絶します。
■/scold: 「叱る」というよりも、指を横に「チッチッ」と振る感じですね。
■/shrug: 肩をすくめて両手のひらを上にむける "I don't know." みたいな例の仕草ですね。
■/count: これが最初わからなかった。何で数える仕草なんか入っているのだろう、と。これはじゃんけんですね。「じゃ〜んけんで」と腕を振る仕草です。となれば、
■/paper: 「紙」=「パー」です。
■/rock: 「石」=「グー」です。
■/scissors: 「はさみ」=「チョキ」です。

さぁ、どうでしょう。気になっていた言葉はありましたでしょうか。私が「ん?」と引っ掛かった言葉を中心に選んでみましたので、もっとこの他にもあるかもしれません。疑問の言葉などありましたらコメントでお寄せ頂ければと思います。

それでは、また。


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August 02, 2007

セカンドライフの企業サイト、そして——

引き続きセカンドライフの話題です。

今日はケチなアルバイトはしないで、徹底的にいろんなところを見て回ることにしました。とりあえず話題になった大手企業のSIMを訪れて、企業がここで何をしようとしているか、おもしろくてやってる個人とどう違うのかを見て、考えておこうと思ってのことです。

で、まずは有名なSONY/BMGの島に行って来ました。よく紹介されいるSIMですが、これがあんまり面白くなかったですね。アーティストの紹介がメインで、それも殆どは外部の、つまりネット上のサイトに飛ぶようになっているもので、結局はただのリンク集みたいな感じ。ムービーやサンプル曲もうまく流れてこないし。そのくせCDは買わないと(99ドルだったかな)聴けないので、うーん、お金出さないと楽しめない場所なのか、と思ってしまいました。

そういう意味では面白かったのはNISSANのSIMですかね。有名になった自動販売機でNissan Sentraを売ってる所です。セントラというのはアメリカ仕様の車で、サニーの流れを汲む、日本では今のブルーバード・シルフィーに当るモデルなんだそうです。ここではこのセントラに一切の生活用品を持ち込んで7日間この車で暮らす、というプロモーションビデオがあって結構おもしろいですよ。ここにいらした方は是非面倒臭がらずにごらんになってみて下さい。

で、自動販売機。自動販売機と言っても、これがタダで手に入るのですね。ただ、タダと言っても、ちょっとしたコツがありますので、ここに書いておきます。自動販売機の脇に説明書きがあって、

Come clean and get the code. (It's nearby.)

とあります。どうも自動販売機の左側にある数字キーでパスワードを入力、続けて右側のキーで商品を選ぶと出てくるらしい。しかしそのパスワードはどうやって知ることができるのか——。"Come clean?"——きれいになって戻ってきて下さい、ということでしょう? この説明書きは先程のプロモーション・ビデオと連動していて、7日間車で過ごした人の絵が出ていました。プロモーション・ビデオで彼は、とにかく匂いには気を付けないとと——特に彼女と一緒にドライブに出掛ける時はね——、駐車場のトイレなどでシャワーを浴びたり身体を洗ったりしていたのだ——と、見回すと駐車場の脇にトイレがあるのですね。で、そこへ行くと、はい、ありましたありました。トイレの落書きがパスワードだったのです! で、そこに書いてあったパスワードを入力、自分の好きな色のキーを押すと、ドカン!と車が落ちてきました。この後は勿論、この車に乗ってドライブしましたよ。(笑 この自動販売機の他には何もない割には結構楽しめましたね、ここは。みんなここで手に入れたセントラを持ち帰ってあちこちで乗り回すんですから、これは結構いいプロモーションになってるんではないでしょうか。

しかし、それにしてもこうした企業のSIMは淋しいですね。日産の所には私を含めて2、3人しかいませんでしたし、ソニーは私一人でしたから。やたらと混んでる個人のSIMとかに較べると、本当に淋しい。

というわけで、今日は企業訪問はこの辺にして「Ueno」にテレポート。ここはなかなか面白かったですね。上野動物園もあったし。で、どこでは動物もののアバターを売ってたりする。自分が動物になれるわけだ! あと、観光案内もあって、日本関係のSIMに飛べる、ネットで言うリンク集みたいなところもあって便利だし。でも、最高に笑ったのは「UNI CIRO」というカジュアル・ウェアの店。ユニクロそっくりのロゴで「ユニシロ」かぁ! 中に入るとユニクロよろしく男女兼用の無難な色とデザインのトレーナーとかあって、これが5ドルと安い! 思わず買おうかと思ったけど、現実世界でユニクロ着てて、セレブな仮想世界でユニシロ着るのもなぁ、とやめました。(笑

それから有名な「Sugamo」のハローワークにも行ってきました。なるほどー、って感じでしたね。セカンドライフの中でどんな仕事が一番求められてるかということなんですけど、クリエイター系としてはやっぱりものを造る仕事、建物とかそういうのをデザインする仕事ですね。そりゃそうですよね。SIMを魅力的に見せるのは結局はそこにある建物とか景観ですけれど、これが一番創るのが大変で、技術が要りますもの。それから、女性は受付とかメイドとか、やっぱり容姿が重視されるものかな。残念ながら音楽関係はなく——現実世界のハローワークでもミュージシャンはないか!——自分にできるものとしては通訳というのがあったけど、これは既に契約済。残念。

あと、前から気になっていた「新潟沖中越地震支援」のSIM、実はこれ新潟県のSIMだったんですが、ここにも行ってきました。写真による状況報告のボードなどがあり、現実世界での義援金の振込先などが書かれてあったりしました。が、やっぱり一番インパクトがあったのはリンデン・ドルの募金箱。この募金箱に自分の持っているリンデン・ドルを入れると、それが募金に反映されて、10万リンデン・ドル(日本円で約4万4千円)単位で日本円にして、実際に寄附されるのだそうです。私が見た時は19万リンデン・ドルになってましたから、この世界でもかなりの人が募金したのではないでしょうか。というわけで、私も10ドルだけ募金してきました。

日本ではセカンドライフというとやたらとお金儲けの話題が出てきますけれども、本来ここは自由に現実ではできないことを創っていく場ですね。で、現実でなかなか実現できないことと言えばその自由とか、愛とか、平和とかあるわけですけれども、そういうことを実現させていくことの方が重要であると感じます。とすれば、この新潟沖中越地震の支援SIMのようなものこそ、人の心が、気持ちが、たとえ微々たるものであっても現実を動かしていくものとして意味のあるものと感じるのです。

今日はいろいろなところを見ながら、ここで何をするのが、セカンドライフをもより楽しい場所にし、そして現実にも影響を与えていくことになるのか、考えさせられた一日でした。

それでは、今日はこの辺で。


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August 01, 2007

セカンドライフと成功物語〜ホレイショ・アルジャーとわらしべ長者

7月30日の昼過ぎから始まったセカンドライフの障害は、アメリカの時間で7月31日の午後5:01、日本では今日の午前11:01頃ひとまず解消したようですね。一体何が問題だったのか、リンデン・ラボのブログによると、最終的には、設定に誤りがあった、不幸な人的ミスである、と結論付けています。

まぁ、とりあえずこれで今日は順調に動いていますので、早速いろいろ試してみます。まずは今回のトラブルで消えてしまった15リンデン・ドル(今後、セカンドライフの記事では、ただ「ドル」と書くことにします。昨日のレートで大体L$277.00/US$になります。)を取り戻すべく、再びブラジル(Ilha Bahia)へ! そこで1時間太鼓を叩いて15ドル取り戻しました。それから、毎日、何か新しいことをしたいですからね。というわけで、やはりミュージシャンですから、今日はあちこち楽器を見て回りました。楽器がないとやっぱり仕事にならない。(笑 で、ある楽器屋はなかなか面白かったですね。ストラトキャスターのギターは大体500ドルくらい。うーん、欲しいけど高いな。今まだ65ドルくらいしか持っていないからね。これは何とかして手に入れたいのだ。そのストラトキャスターに並んでシタールなんかもある。やっぱり500ドル。DJ用のブラック・ディスクのターンテーブルは90ドルくらい。あ、シンセもある! これはどれも200ドルくらい。ストラトもそうだったけれどこの楽器屋はなかなかデザインがしっかりしていて、シンセはどう見てもコルグ、どう見てもヤマハ、どう見てもノルトリード、というなかなかリアルなもので、極めつけはどう見ても昔冨田勲さんやキース・エマーソンが使ってたみたいなタンスのようなモーグのシンセでしたね。試奏してみましたが、音は出ないものの、アニメーションがついていて、私は弾きながらシンセのパッチ(配線)を差し替えたりして、動きがなかなかリアルなので気に入りました。本物のモーグは買えそうにないですけれど、セカンドライフの世界で、こいつは絶対手に入れようと思いました。(笑 で、改造して音が出るようにしようと。

ところで、先程「今日は昨日とは違うことをしよう」みたいなことを書きましたけれども、これがセカンドライフの面白いところではないでしょうか。セカンドライフは全てが予めプログラムされたコンピュータ・ゲームとは一線を画しています。自分(のアバター)がどのような人間になっていくのか、どのように生きたいのか、全て自分で創っていくことが必要な世界なのです。どんな商品を創りたいのか、どんな建物に住んだり仕事したりしたいのか、どんな街を、社会を創りたいのか、全て0から、人との出会いを繰り返していく中で自ら創り出していく世界なのです。そこには必然的にクリエイター的、或いはアントレプレナー的な資質が必要とされていると言えます。逆に言うと、何かを生み出したいと思っている人には、これほど面白い世界はないとも言えます。

そう、全て0からスタートするのです。前にも書きましたが、手持ちのお金0、着ているものはジーパンとTシャツでベルトもない、みたいなところから始まるのです。そんなところから始めてクリエイティブなセレブとして成功している人たちも多いのだから、これはビジネスとして考えても、人生設計と考えても、実にリアルな実験、モデルになると言えますね。

と、ここ数日セカンドライフをやっていて思い出したのがホレイショ・アルジャーの Rugged Dick という、19世紀後半のアメリカで大ヒットした小説です。"Rugged Dick" とはぼろぼろの穴の空いた服を着た主人公の少年ディックのことなんですが、靴磨きの仕事をするディックは、その正直で明るく、勇気もある性格から、その仕事を通じていろんな人に気に入られ、最後には成功するという、正にアメリカ人の心の中にあるアメリカン・ドリームを描いた作品なのですが、これが、真面目に働けば自然とお金持ちになる、お金持ちになったら自分が稼いだものを社会に還元して次の人がより豊かになるように生きるという、プロテスタント精神と重なることは言うまでもありません。セカンドライフ→おんぼろディック→マックス・ヴェーバーと連想して、いかにもアメリカ発らしいしくみだなぁ、と思ったのでした。

そして更に連想が進んで思い出したのが「わらしべ長者」という日本の昔話。これはお金もなく仕事もない男が、どうしたものかと観音様のところに行ったら「今から歩き始めて最初に手にしたものを大切に持っていなさい」というお告げがあり、これはありがたや、と歩き始めたらいきなり躓いて、思わず藁を掴んでいた、という話ですね。で、こんなもん持っててもなぁ、と思いながらその藁を振り回しながら歩いていると
そこに蝿だか虻だかが留まり、ブンブン言うその藁を持って更に歩いていると大泣きしていた子供がそれを見て笑い出し、欲しがるのを見て、母親がその藁をみかんと交換してくれと言う。仕方なくみかんと交換して今度はみかんを持って歩いていくと、今度は喉が渇いている商人と出会い、そのみかんと反物を換えてくれと言う……というような感じで交換交換を繰り返して最後には長者になったというお話。

セカンドライフではお金がなくても生きていけますが、それではただ世界の中をうろうろするだけで終ってしまいます。何かしようとするとお金が要ります。が、0から始めて、どうやってお金を手に入れるかとなれば、これはもう、誰かに雇われて時間でお金を貰うか、物を売るしかないですね。自分には何が売れるか、売れるものがあるのか? そんな時このわらしべ長者の物語が思い出されるのです。自分は何も持っていないと思っても、他の人には必要な何かがあるかもしれない。その何かに気づいた時からビジネスというのは始まるのかもしれませんね。

たかがゲーム、と一方では思いながら、真剣に何を売ろう、何を創ろう、と真剣に考えている自分に気づきました。自分の分身であるアバターには豊かに生きていってもらいたいものです。と、ふと、現実に戻るのです。自分は現実の世界でどのように生きていきたいのか、何を売ったり創ったりして世の中の役に立っていこうとしているのか。

それがセカンドライフほど真剣に考えられないのは、案外、中途半端にお金があるからなのかもしれないですね。セカンドライフのアバターのように、或いはわらしべ長者の主人公の男のように、何もないところにいる方が、仕事のこと、生きることを真剣に考えられるのかもしれません。

さて、次は何をやろう?
それでは、また。


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