「思い」ということ
8月——夏休みでテレビでは戦争に関するものをはじめ、いろんな特集が組まれているからかもしれないのですが、最近やたらと「思い」という言葉を聞くようで気になっています。日本人はこの「思い」という言葉が好きだなぁ、と常々「思う」のです。そう、今私自身がそう書いたように、日本人の文章には「思う」というのがやたら登場しますね。以前、自分が書いたものを英語にしようと思って気づいたことがあります。短い段落の中に何度も「思います」「思う」という表現が出てくるのに、英語にするとこれらの言葉は全て省かれ、全て断定的な表現になるのですね。日本語では「思う」と書かないと落ち着かないのか。一方、「思い」の方は、これはもう、かなわぬ恋、あこがれのあの人への「思い」が繰り返し詠われたあの古代からの伝統、というよりは遺伝子的に私たちの身体の中に入ってしまっているのでしょうか。
今、「思い」について、かなわぬ恋を連想してしまいましたが、しかし、「思い」の正体は正にそうなのです。これはいだきしんさんを講師とする「いだき講座」を受講した時に学んだことなのですが、「思い」は「重い」なのです。つまり、動かない、実現しないものです。「思いが強い」という状態は、もう頭の中がいわば妄想で一杯になって、全く動けないことを言うのです。これは私自身経験してきたことです。今のこの時期、「平和への思い」という言葉がよく聞こえてきますが、私たちは「平和」を、もう、思うだけではなくて、実現するために動かなければなりませんね。
「思う」に対する言葉は「考える」となりますが、これも同じ頭の中でのことではないか、とおっしゃる方もあるでしょうが、同じいだきしんさんによると、「考える」とは「動く」ことなのだそうです。動かないと考えられない。じっと頭を抱え込んでみても、何にも考えられない、確かにそうですね。頭の中だけでいろいろ思ってみても、ああでもない、こうでもない、もしこうなったらどうするか、とか、グルグル回るだけで疲れてしまいますけれども、実際に動いてみると、良くも悪くも必ず何か結果が出ますから、その結果を見てまた次どうするか考えられるわけです。この繰り返しで、必ず現実は動いていきますね。
テレビで話している人たちのことをじっと聞いていると、どうも「思い」と「考え」がごっちゃになっているようですね。「思い」が、本当に勝手な個人的な思いの人もいれば、ちゃんと「考え」になっていて、実現に向かい行動している人もいますもの。でも、どちらにしても、単なる妄想に終らせず、実現したいのは誰しも同じでしょう。そのためには、「思い」「思う」という言葉を使わないよう気をつけてみること。そして、自分の頭の中にあることが「思い」なのか「考え」なのか、考える癖をつけることでしょう。
多くの人が心の中で夢に描いていること、それが「思い」でなく、「考え」として実現していく——その時この世の中はもっとよくなるのではないかと思い……、いえ、考えます。
それでは、また。



Comments
残暑お見舞い申し上げます。
夏が苦手な三毛猫ニャン♪です。
もー暑くて大変です(>_<)
三毛猫ニャンも「~と思う」を使います。
ニャンは寝るのが好きで仕事をサボッテばかりいるので、「~と思う」という曖昧なニュアンスで表現する時があります。
一時期「~と考える」や「~と感じる」または「~です」と言い切る表現ばかり使っていたのですが、どーもその言葉を使うと自分が苦しくなったので「思う」という言葉も使うようになりました。
やっぱり生き様がそのまま言葉に表れますね!
ところで英語のI think~は「思う」ではないのですか?
追伸:余談ですがZARDのCD全部買ってしまいました♪ニャンとも懲りない性格です(笑)これからギターのコピーを始めます。
Posted by: 三毛猫ニャン♪ | August 12, 2007 at 04:21 PM
三毛猫ニャンさん、コメントありがとうございます。
> ニャンは寝るのが好きで仕事をサボッテばかりいるので、「〜と思う」という曖昧なニュアンスで表現する時があります。
あらあら。曖昧な表現ばかり使っていると、自分の感覚がわからなくなり、最後には自分が誰かさえわからなくなってしまいますよ〜。
> 一時期「〜と考える」や「〜と感じる」または「〜です」と言い切る表現ばかり使っていたのですが、どーもその言葉を使うと自分が苦しくなったので「思う」という言葉も使うようになりました。
何故苦しくなったのでしょうね。それは、苦しいのではなく、もしからしたら、そうではないと否定される不安からではないですか?
世の中にはいろんな感じ方、考え方をする人がいますし、いるからこそ、世の中が豊かになるのだということ、それを楽しむ心が大事なのだと今では考えています。私が感じていること、考えていることは、他の人が何と言おうとそれは自分の中では事実なのです。その事実を事実だと人に伝えることこそ意味があるのです。反発があるとすれば、それだけその事実にインパクトがあるということです。人を逆撫でしないようにと曖昧に薄めた表現は、誰の気持ちにも引っ掛からず、表現されなかったのと同じことなのではないでしょうか。
私が音楽エッセイを書くようになった時、一番影響を受けたのはクラシックの吉田秀和さんとロックの渋谷陽一さんですが、二人とも共通してるのは、一般的な評価なんか与えたりしません。どちらも、誰がなんと言おうと、これがいいのだ、これはダメだ、と言い切っちゃう。それがものすごく気持ちよかった。同時に不思議でしたね。何でここまで言えるんだろうと。今はよくわかりますけどね。自分の中の事実を大切にしてる、ということに尽きますね。
> ところで英語のI think〜は「思う」ではないのですか?
そうなんです。日本語の「思う」は、さっきから話題になってるように、表現を和らげる、譲歩してるわけですね。ところが英語の「I think」は違う。これは、「他の人がどう思おうが、言おうが知ったことではない、私の考えはこうだ!」という寧ろ対決姿勢を示す表現です。「This flower is beautiful」と言うと、「この花きれいだね。」という普通の表現ですが、「I think this flower is beautiful.」だと、「僕にはこんな花でも美しいと感じられるね。君にはそうでないかもしれないけど。」という感じのニュアンスになってしまいます。
日本語のつもりであんまり「I think...」を使わないように!
それでは、また。ありがとうございました。
Posted by: タンゴ黒猫 | August 12, 2007 at 06:06 PM