January 30, 2008

塩野七生『コンスタンティノープルの陥落』読了!

やっと読み終わった。塩野七生さんの『コンスタンティノープルの陥落』(新潮文庫 1991)だ。前に少し書いたけれども、今は仕事の関係で自宅を離れて職場近くで仮住まいしていて、最初は近くには夜遅くまでやっているような店もないし、ネットの環境も整ってないし、睡眠時間の少ない生活をしていた私には夜の時間を持て余すだろう、そうだ、この機に読めなかった本をまとめて読もう、なんて思って買ったうちの一冊。ところが結局ネット環境を整えてセカンドライフも普通にできるようになったので、薄っぺらい本なのに、読み終わるのに結構時間がかかってしまったのだ。

塩野七生さんの歴史著作は大好きだ。最初に読んだのはヴェネツィアの千年に及ぶ歴史を描いた『海の都の物語』で、はっきり言ってこんなに面白い歴史の本はないと言っていい。ひとつの国の歴史を、膨大な史料にあたってそれを整理し、淡々とした筆致で書かれているのだが、その淡々とした事実の積み重ねが生き生きとした人間のドラマとなり、感動を呼ぶのだ。もともと英語の "history(歴史)" と "story(物語)" とは同じ語源で、今でもスペイン語ではどちらも "historia" と言う。語り継がれてきたもの、それが歴史なのだ。塩野さんの本は、正に歴史がそのまま物語となっている点が、僕は大好きなのだ。

コンスタンティノープルの陥落——今はイスタンブールと呼ばれているこの都に僕はまだ行ったことはないのだけれど、この都市には何とも言えず心惹かれるものがある。それまでは弾圧していたキリスト教を国教と定めたコンスタンティヌス帝に因む都。東ローマ帝国の首都として、西側がどんどん世俗化していく中で、常にキリスト教の崇高な精神の象徴だった都。立地条件に恵まれ、難攻不落とされたこの都がメフメト二世率いるオスマン・トルコによって陥落した時、それがヨーロッパの人たちに与えた精神的ダメージはそれは大きかったようだ。

その物語が、当事者たちが残した記録を基に、実に生き生きとした物語として蘇る。そう、その鮮やかな筆致は、まるで目の前に見ているようですらある。ヨーロッパ人の誰もが、トルコのまだ20代前半の王を軽くみていた。しかし、その若きリーダーは、或いは道を整備して山を越えて艦隊を海へと導き、或いは地下にトンネルを掘って城壁の内に達しようとし、そして遂には大砲という新兵器で見事城壁を突破し、この都を突破するのだ。方や暢気なヨーロッパ側は緊急の知らせにもゆっくりと予算取りをし、造船をして、これまたのんびりと出帆し、恐らくその艦隊が着いていれば結果が変わったかもしれない戦争に間に合わなかった。そうした状況の中、最後は総崩れになり、皆が逃げ惑う中、皇帝その人はわずか3、4人で自ら先頭に立って敵に斬り込んで行く! 何と壮絶な死。こんな皇帝がこの世にいたとは……。

今の世界情勢を見ていると、ヨーロッパ=キリスト教国 vs. イスラームという対立の構造を感じないではいられないわけだけれども、何故そうなのか。考えてみれば、ヨーロッパ最初の歴史書でもあるヘロドトスの『歴史』は、ギリシャとペルシャとの戦いの物語だ。そしてこの時代のトルコとヨーロッパ。塩野さんの本で、その背景にある歴史の1ページをきちんと知っておきたいと思う。

で、引き続き昨晩から同じ塩野さんの『ロードス島攻防記』を読み始めたのだ。


| | Comments (0) | TrackBack (0)

July 08, 2006

「ユダの福音書」(2)隠されていた真実〜不完全なこの世界から偉大なるあの世界へ

『原典 ユダの福音書』の話の続きです。

あまりに衝撃的な内容だったので、さてどこから書いたものかとは思うのですが、まず最初にこの福音書で描かれているイエスが実に魅力的であるということに触れてみましょうか。「ユダの福音書」の中でのイエスはよく笑うのです。はっきりものを言う、元気なイエス像がそこでは描かれています。

よくよく考えてみれば、あの蒼白い顔をして、裸足でフワフワと漂うように歩いているイエスのイメージというのは、一体どこでどうやって作られたものなんでしょう。宗教活動を始める20代後半か30代までは父親の職業である大工をやっていたわけですから、寧ろ筋肉隆々であったかもしれませんし、あれだけ人の悪い状態を受けて癒し、治していくのですから、余程健康でエネルギーに溢れた人であったに違いないのです。そういう意味では、「ユダの福音書」に描かれている、このよく笑うイエスというのは納得できるイメージと言えます。

さて、この福音書で描かれているのは、過越の祭の3日前、私たちが知っている聖書の「最後の晩餐」に当るところからユダが長老たちにイエスを引き渡すというところまでで、主にイエスとユダ、イエスと十二使徒との間の対話が中心になっています。ユダは十二使徒と対比して描かれ、十二使徒は既成概念に囚われた、イエスの言うことがわからない頭の悪い人たちであり、一方のユダはイエスが本当はどういう人であるかをよく理解している——そうイエスのよき理解者であり、最良の心の友として描かれているのです。

例えば、十二使徒はイエスのことを、あなたは神の子です、と言いますが、これに対してイエスは、あなたたちは私のことを理解できない、と言います。一方ユダは、「あなたが誰か、どこから来たのか私は知っています。あなたは不死の王国バルベーローからやって来ました。私にはあなたを遣わした方の名前を口に出すだけの価値がありません。」イエスはこれをよしとし、ユダだけを別室に連れて行き、イエスの知る王国の秘密をユダに授けるのです。

これはどういうことなのでしょう? 十二人の使徒たちが信じているのは、結局のところ旧約聖書に描かれたような、この世を創ったというユダヤ教の絶対的な神です。しかし、絶対的な神が創った割にはこの世はあまりに不完全です。何しろその神を象って創ったと言われる人間自体が、どうして何度も何度も神を裏切るような行為を繰り返すのでしょう。イエスにとって、このような不完全な世界がを創った神とは愚かな存在なのです。実は、そのような不完全な世界とは別の世界があり、そこは私たちの愚かな神より更に高い存在である「偉大なる唯一のもの」が支配する世界なのです。「ユダの福音書」の中でイエスは、それがどのような世界なのかをユダに解き明かします。それは自由な魂の、光溢れる世界なのです。イエスはそのような世界から来た存在なのです。

イエスが世界について語る中で明らかにされるのは、この世界が12という数に支配されていることです。占星術とも関係する複雑な話になりますので詳細は省略しますが、その意味でイエスの弟子たちが12人いるということは象徴的です。つまり十二使徒とは、この不完全な世界を象徴する存在でもあるわけです。イエスはユダが他の使徒たちから排除され、そしてユダが排除された代りに別の人間が使徒に加わり、ユダが13番目の存在となることを予言します。ユダは夢の中で自分が虐げられる幻を見たことをイエスに語りますが、実は、13番目の存在とは、この世界から外に出た人間であることを意味します。その意味で13は通常思われているように不吉な数字でなく、幸せな数字ということになります。

12人の弟子たちも自分たちが見た夢をイエスに語るのですが、それはイエスのことを理解できなかったその弟子たちがイエスの名を騙って、イエスが示したのとは全く異なる、邪悪な世界を展開していくことだとイエスは明らかにするのです。なるほど、前に書いたように、もしイエスの磔刑に全人類の贖罪という意味があるのだとしたら、私たち全人類は浄められているはずであり、その後の世界は戦争や殺人など争いごとのない、平和な愛の世界になっているはずです。が、ご存知のように現実は違います。「ユダの福音書」の立場から見ていけば、イエスを理解しなかった人たちが創った世界が現在私たちが生きている世界ということになるでしょうか。

イエスはあの偉大な世界に戻るには、この肉体を離れる必要があると考えていたようです。そこで、イエスは彼のことを、そしてあの世界のことを最も理解しているユダに、あの世界へ還るための手伝いをさせたのです。それが所謂「ユダの裏切り」だというのがこの福音書の趣旨です。ユダは形の上ではイエスを裏切ったことになるため周りから責められ、蔑まれ、虐げられるでしょうが、イエスをこの愚かな世界に縛り付ける肉体から解放し、あの世界へ還る手伝いをしたことで、他の弟子達を越える偉大な存在となる、イエスはそのようにユダに告げるのです。するとユダに変容が起り、ユダは神々しくなり、その状態で官憲にイエスを引き渡す——これが「ユダの福音書」の主な流れということになります。

私たちが普通に知っているキリスト教の常識を180度反転させる内容を持っているだけに、あまりに衝撃的な内容ですが、しかし、いろいろなことに納得のいかなかった私にとって、ここには今まで隠されていた真実があるように思います。寧ろ、この方が納得できるからです。

まだまだこの書について語らなければならないことはたくさんあるように思いますが、とりあえず今日はこの辺にしておきます。


| | Comments (0) | TrackBack (0)

July 04, 2006

「ユダの福音書」(1)〜納得いかなかった「ユダの裏切り」のこと

前から気になっていたのですが、やっとロドルフ・カッセル他編著『原典 ユダの福音書』(日経ナショナルジオグラフィック社 2006)を読みました。これはエジプトで見つかった写本の断片からアメリカのナショナル・ジオグラフィック協会がバックアップして復元されたもので、新しいイエス像を明らかにする画期的な出版ということになります。

「ナショナル・ジオグラフィック」誌(The National Geographic)は、最近では日本版も出ているのでご存知の方も多いでしょうが、かつてはアメリカのどの家庭に行っても必ず置いてあると言われた雑誌で、私も長いこと会員になっていました。内容的には冒険と発見の雑誌と言ってよく、常に新しいフロンティアを求めて生きてきたアメリカの人たちに世界を伝え続けてきた雑誌と言えるでしょう。この雑誌が伝えてきた発見の記録には衝撃的なものが多く、今から400万年前の最古の人類、「ルーシー」の発見の様子を発見者のヨハンソン博士自身の文章と写真で伝えたのもこの雑誌でしたし、沈んだタイタニックの発見を伝えたのもこの雑誌でした。タイタニック発見の時は私も興奮して読んだのを思い出します。そして、今回、いよいよ「ユダの福音書」の発見、というわけです。

読んでみての最初の感想は、う〜ん、やっぱり、という感じですかね。こういう文書があって当然とは以前から思っていました。所謂「聖書」は、数ある文書の中から、キリスト教会のある方針に沿ったものだけが選ばれ、編纂され——或いは改竄され——ているわけで、その方針に沿わないものは闇に葬られてきたわけです。所謂福音書で伝えられているものから判断しても、イエスはかなり多くの人と接しているわけで、そのイエスに会って感銘を受けた人たちが遺したものが、あの聖書に含まれているものだけと考える方が不自然です。有名な「ナグ=ハマディ文書」には、正典の福音書ではあまりに不当に扱われているマグダラのマリアによる福音書もあるくらいですから、イエスを裏切ったとされるイスカリオテのユダによる福音書があってもおかしくはないのです。

そもそも、このユダの裏切りというのが、昔から納得がいかないのです。共観福音書と呼ばれる「マタイ」、「マルコ」、「ルカ」の3つの福音書はそれぞれ成立の年代も異なり、その内容にもいろいろと異同があるのですが、ユダの裏切りに関してはその表現に至るまで不思議なくらい同じ内容を伝えています。あたかも同じ人が書いたように。いや、それは目撃者の多い事実だからだよ、と言うのであれば、そこで表現されているイエスという人は実に嫌やな人、ということになります。何故なら、イエスは悪魔に打ち勝った経験がある人であるにも拘らず、そしてユダに悪魔が入り、自分を裏切ることを予見していながら、それに対して何も手を打たずにいるわけですから。そしてその裏切りで官憲に捉えられ、尋問を受けるとイエスともノーとも言わず、「それはあなたの言ったことだ」と煙に巻いたような発言をし、最後に十字架上では「父よ何故あなたは私を見捨てられたのか」と嘆く……何とカッコ悪い、優柔不断な男なんでしょう。こんな人がその死後2000年にわたって人を感動させ続けるはずがない。いや、感動させるどころか、会ったこともないその人のためにどれだけ多くの人たちが自らの命を捧げたことか!

それに比べると「ヨハネ」の描くイエスの方がもっと一貫性があります。最後の晩餐に当って、イエスはユダに金袋を渡して会計係を任せています。そしてその晩餐の時に、イエスはユダにこう言うのです。「しようとしていることを、今すぐ、しなさい。」(ヨハネ13:27)この言葉に従ってユダは部屋を出ていきます。これらは、あたかもイエスがユダを信頼して、既に何かを打ち合わせていたようです。官憲が捕まえに来た時も、先の3つの福音書はユダがイエスにキスをすることでその人がイエスであると知らせたということになっており、「ユダのキス(a Judas kiss)」という言葉はうわべだけの裏切り行為を意味する表現になってますが、「ヨハネ」では、官憲に対しイエスは「だれを捜しているのか」と聞き、官憲が「ナザレのイエスだ」と答えると、イエスは「わたしである」と自ら進み出ているのです。更に「父がお与えになった杯は、飲むべきではないか」(ヨハネ18:11)として連れて行かれるイエスの行為は一貫していてカッコイイ。いや、カッコイイという言葉が軽ければ、この人なら、と信頼して、その人のために尽し、命を投げ出してもいいと思えるような人物と言えるでしょう。

「ヨハネ」のイエスは自分が十字架刑に処されるのは必要なことであると考えています。現在の正統派キリスト教では、イエスの磔刑の意味は贖罪であり、イエスが磔刑に処されることにより全人類が罪から救われ、浄められたとされています。しかし、もしそれを主張するなら、ユダが裏切らなければこのことは実現しなかったわけですから、ユダはイエスと共に全人類の恩人であるはずではないでしょうか?

こういう疑問は普通に考えれば誰でも突き当たるもので、だからでしょう。映画にもなったアメリカのロック・ミュージカル「ジーザス・クライスト・スーパースター」は象徴的にも、イエスのことを最も理解しているユダの歌から始まり、最後の晩餐の後では、ユダもイエスも、自分たちは神が自らの栄光を示すために使われた、と苦しみ嘆くのです。ユダは何故自分は裏切り者として憎まれ続けなければならないのか、そしてイエスは何故自分は死ななければならないのか、と。

福音書を読めば読むほど、私などは、最終的に強盗のバラバを釈放させ、イエスを処刑したのはユダヤの民であり、そのユダヤの民の代表的な人間がこれまたユダという名前であるという、イエスを裏切った人のイメージをユダヤ人に重ねるためのプロットであるように思えるのです。

娼婦であると蔑まれていたマグダラのマリアに対するイエスの眼差しはやさしい。そして、復活したイエスに最初に会うのは他ならぬマグダラのマリアなのです。マリアはイエスの復活を信じ、その日イエスの墓を訪れていたのです。この時、後にペトロと呼ばれるシモンは、自分の家に帰り、魚獲りの生活に戻っていました。他の弟子たちもユダヤ人から責められることを怖れて家に閉じ籠ったりしていました。こうした弟子たちが書いたものが現在の正典とされている聖書です。そのような聖書ではなく、イエスをどこまでも信じていたマグダラのマリアが書いたものを読みたいと思うのはこれも自然ではないでしょうか。

同じように、イエスが将来を見通すことのできる人であり、自分が死ぬことが必要であると考えていたならば、それを裏切りというよりは手伝ったユダについての真実を知りたいと思うのも当然でしょう。「ユダの福音書」はそれに対する解答を示してくれます。一体、イエスとユダの間で何があったのか——。

長くなりましたので、この続きはまた明日。


| | Comments (0) | TrackBack (0)

November 15, 2005

「悪の論理」

この2日間ほどスコット・ペックさんの「悪の心理学」について書いていて、これと直接関係はないのですが、ふと思い出して書棚から取り出したのが倉前盛通さんの『悪の論理―地政学(ゲオポリティク)とは何か』(角川文庫 1980 絶版)です。これは学生時代、中嶋嶺雄先生の下で国際関係論を学んでいた時に基本書の一つとしてご紹介頂いた本で、当時の私には目から鱗が落ちる衝撃を与えてくれたものです。

地政学はご存じない方もいらっしゃるでしょうから、簡単に説明しておきますと、自分の国がいかに国際的に優勢な立場に立てるかを、自国の地理的条件、或いは相手国の地理的条件に基づいて判断していく政治学、というよりはその性質上、軍事学であると言えます。大雑把に言えば、ある国は大陸型か海洋型に分れますし、或いは大陸の中央に位置するハートランドと大陸の周辺地帯に位置するリムランドに分けて考えられます。

地政学に則って考えれば、第二次世界大戦での日本とアメリカの衝突は避けられないものであったと言えます。何故なら両国とも海洋型の国であり、太平洋の西と東に位置する両国は、その勢力を海の東と西に伸ばしていくならば、どうしてもぶつかってしまうからです。一方、地政学的に考えれば、海洋型の国は内陸戦では必ず負けます。逆もまたしかりです。日本最大の敗因は、アメリカの策略に乗って、中国大陸の制圧に力を入れてしまったことだと言えるのです。中国は勿論大陸型の国ですから、日本は中国内陸で勝てるはずがないのです。ここで力を消耗しているうちに、太平洋の海戦で十分な力を発揮できなかったのです。しかし、歴史とは皮肉なもので、海洋型の敗戦国日本が中国で犯した過ちを、戦勝国アメリカもまたヴェトナムで犯してしまうのです。海洋型のアメリカはヴェトナム内陸に手を出してしまい、結局は国力を傾けてしまうこととなりました。

こうした地政学は現在でも、欧米の政治家の間では常識となっていますが、日本とドイツでは、国を戦争に導いた危険な学問として、特にアメリカの指導で抹殺されてしまいました。倉前さんの本は、日本では邪悪な学問として消されてしまった地政学が、いかに当時の国際政治を現実に動かしているかを述べた危機感溢れる啓蒙書で、出版当時はベストセラーとなったものです。

前置きが長くなりましたが、この本をパラパラめくっていて、この本のタイトルにもなっている「悪」について触れているところがあり、大変興味深かったので、ここにちょっと引用しておきます。この本の最初の章は「二千億ドルのエージェント」というドキュメント・フィクションに割かれていて、そこでは地中海にあるタックス・ヘイヴンの島で、日本の政府機関のあるエージェントが、アメリカの原子力産業のコンサルタントで、実は国際的な工作員でもあるアメリカ人とコンタクトし、この二人の話し合いの後、ロッキード事件が発覚し、日本人がこの事件に気をとられている間に、ある工作が着々と進む、という話が描かれている。その話を受けての第2章の次の文章になります。

「国際ビジネスマンは、このドキュメント・フィクションの中に登場する「英(はなぶさ)」のように、クールで抜け目のない悪人でなければならない。悪人とは何も邪悪な人間という意味ではなく、国際社会の非情冷酷さを知らず、デモクラシーとか人権とか人民解放なぞというような上っ面の飾り文句で、国際社会が動いているかのように思い込んでいる善人に対して、人間と社会、ことに国際社会のみならず、力関係の入り乱れた社会の狡知(こうち)と冷酷さを十分わきまえた上で、それに対応する手をうつことのできる強い人間のことを悪人と称してみただけのことである。」(前掲書 P28-29)

著者は、日本人は狭い島国の中で、一民族、一国家という家族的な国家を数千年にわたって維持してきたおかげで、国際的な狡知とは無縁のところできてしまった。それはそれで日本人のいいところでもあるのだけれど、日本人の国際化が急激に進む中で、それは欠点ともなっている、とこの後述べているが、その後、更に、その日本の歴史の中での「悪人」について次のように述べているのが興味深いと思います。

「中世の軍記物に『河内に楠木という悪党ありて』と述べているが、足利尊氏を相手に健闘した楠木正成は、当時としては珍しいほどの戦略哲学を持った「したたか者」であったので、東国の武士団を相手にあれだけの活躍ができたのである。そして討死する時も、『罪業(ざいごう)深き悪念なれども、七度人間に生まれ変わって朝敵を滅ぼさむ』といい残し、自己の正統性を後世の大衆に浸透させるだけの心理工作まで残していった。それゆえに、中世の伝記物語作者は楠木一党の悪念に大きな畏怖の念をいだき、『楠木という悪党』と書きしるしたのであろう。足利尊氏は悪念の深さにおいて、つまり、荒ぶる魂の振幅の強さにおいて楠木正成に完敗したといえる。

「日本人は昔から『悪』という言葉に、強靱で、しぶとく不死身という意味を持たせていた。つまり『ええ格好しい』ではなく、世の毀誉褒貶(きよほうへん)や、事の成否を意に介せず、まっすぐに自己の信念をつらぬいた人の強烈な荒魂を、崇め安らげる鎮魂の意味で『悪』という文字を使用してきた。これは日本人の信仰の深淵に根ざすものかもしれない。

「日本の社会は昔から女性的で優美な『もののあはれ』という美学を、生活の規範としてきた社会であり、男性的な硬直した儒教論理や、キリスト教、マホメット教のような一神教的男性原理によって支えられている社会ではない。それゆえ、男性的な行動原理に身をおくとき、日本の伝統美学から、やや遠ざかっているという美意識が生じてくる。それゆえ、一種の『はにかみ』をもって、『悪』とか、『醜(しこ)』と自称したのであろう。」(前掲書 P30-31)

ちょっと長くなりましたが、なるほど、軍記物や狂言にはよく「悪」がつく名前の人が登場しますし、そう言えば、あの大国主命も、別名、アシハラシコオ、つまり「日本一醜い男」と読めるのですが、これも日本一しぶとくて強くて、思うようにならない、自分を貫く男、という意味かもしれませんね。そうなってくると、「悪」とは言っても、こういうクールに現実を見つめ、世の中の表も裏もわかった上で自分を貫く悪は身につけなければならないな、とも思いますね。その「悪」はあくまで日本人的な感覚での「悪」なのでしょう。

こんなものは国際的な感覚からすると悪でも何でもないですね。私はかつて東アジアの国々に仕事で出張することがありましたが、どの国に行っても、人はみな親切でアジア的なやさしさがあるのですが、みんな、お金になると思うとちゃっかりお金は手にするちゃっかりというかしっかりしたところはあります。それは日本人から見るとずるいと感じたり、時には裏切りと思えることもありますが、彼らにとっては何でもない、彼らが善人であることに変りはないのです。

私たちはいい人であるように努力しなければならないでしょうが、その時、スコット・ペックさんが言うような「邪悪性」を排しながらも、同時に、倉前さんが言うような、楠木正成の持っていたような「悪」は身につけておかなければならないのではないでしょうか。それは、自らの理念に向って自己を貫く、本音で生きるということにも通じているように思います。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

November 14, 2005

権威への盲従という悪

昨日のスコット・ペックさんの悪の心理学の話の続きです。

『平気でうそをつく人たち』(草思社 1996)の中で、いくつかの典型的なケースを挙げた後、最後の第6章を「危険と希望」というタイトルの下に書いています。

「……われわれが悪という事象を科学的に究明しなかった最大の理由は、おそらく、その結果を恐れてのことであったと考えられる。また、それを恐れるだけの十分な理由がある。悪の心理学の発展には、特有の、真に恐ろしい危険が伴うものである。本書は、そうした危険と、悪の心理学を発展させなかったときに生じる危険とをはかりにかけた場合、後者の危険性のほうがより大きいとの前提に立って書かれたものである。とはいえ、悪という事象を科学的吟味の対象とする試みに加わろうとする者は、まず第一に、そうした試みそのものが悪を引き起こす可能性を持ったものである、ということを深く考えたうえで行動すべきである。」(前掲書 P312)

この文章の後、著者は「道徳的判断に伴う危険性」と「科学的権威による偽装の危険性」との2つの場合について詳述していますが、私がぞっとしたのは後者、科学的権威による偽装、の方です。ペックさんは、私たちが科学に対し、それ以上の権威を与えていることの危険性を指摘しています。その理由として、科学の限界を理解している人間がほとんどいないことと、権威全般に対して私たちがあまりにも依存しているという事実を挙げています。

科学的事実としてもてはやされていることが、実は一部の科学者たちが今現在信じているに過ぎない、私たちは科学的事実を真理と見なすように習慣づけられているものの、実は今身近にあるものの中で最も真理に近いと、多くの科学者たちが判断しているものに過ぎない、ということを指摘した後、著者は、にも拘らず、私たち一般大衆は科学者の断定に追従したがっている、と書いています。

「われわれは、知的怠惰から、科学的思考というものが趣味や好みと同様にそのときの流行に左右されるものだ、ということを忘れ去っている。科学の権威筋が現在口にしている意見は、最新のものというだけであって、けっして最終的、決定的なものではない。われわれ一般大衆は、自分の身の安全のためにも、科学者や科学者の断定することに疑念を抱くべきであり、また、そうすべき責任を負っている。別の言い方をするならば、われわれは、けっして、自分自身の個人的リーダーシップを放棄してはならないのである。」(前掲書 P317)

そして、その後、科学に対するこうした盲目的な追従が、いかに危険な傾向をもたらすかについても書いています。

「科学の乱用がもたらす最も深刻な問題は、科学的真理を装って個人的見解を公言する科学者自身よりも、科学的発見や科学的概念をあやしげな目的に利用する一般大衆――業界、政府、それに情報に乏しい個人――に起因するものである。」(前掲書 P318)

科学的な根拠があるからと、科学の名の下に裁きを行なうものも、また一般の、「普通の」人々である私たちが持つ危険な傾向です。

「……悪に関する科学的知識を一般の人が手にしたときにどういうことが怒るか、その光景は想像するだに恐ろしいものである。たとえば、邪悪な人間を特定できるような心理テストが開発されたとする。この種のテストを学術的目的以外の目的に利用したいと考えている人は多いはずである。好ましくない入学志願者をふるい分けたいと考えている学校当局者、有罪か無罪かの判定を下したいと考えている裁判官、といった人たちがこれを利用すると考えられる。また、日常生活においても、しゅうとめ、雇い主、あるいは敵対関係にある人間に邪悪性の兆候や症状を見つけだそうとする人が現れ、さっそく、自分の気に入らない相手を公に、あるいは個人的に抹殺するためにそうした汚名を利用するとも考えられる。」(前掲書 P319)

私がぞっとしたのはこのくだりなのです。瞬間、私は今年読み直した永井豪さんの『デビルマン』というマンガを思い出しました。このマンガは私が子供の頃テレビ・アニメとして放映されていたものでしたが、放送終了後に完結した原作のマンガは壮絶を極めるエンディングとなっておりました。アニメの方は、魔界から訪れては人間を襲うデーモンたちから、そのデーモンと合体した人間不動明がデビルマンとしてデーモンと戦い、人間を救う、というストーリーでしたが、原作も、最初のその路線で進むものの、途中から様相が変ってきます。悪魔の存在が科学的に証明され、科学者たちの提言に基づき、悪魔狩りが行なわれはじめるのです。こうして普通の人たちが隣人や家族を疑い始め、人間が人間を殺戮していくのです。その過程でデビルマンは悩むのです。自分は人間を脅かしているのはデーモンだと思っていたが、実は、同じ人間の中にこそ悪魔は潜んでいるのではないか、と。

この本の中で、著者のペックさんが何故何度も「人を裁くな。あなたがたも裁かれないようにするためである。」というマタイ伝の文句を繰り返したのかわかる気がします。私たちはともすれば、自分には何も欠点がないと、従って人を裁く権利があるのだと思ってしまう傾向があるのです。そしてそのようにして裁くこと自体がまた別の悪を生んでいくのです。科学であれ何であれ、権威に追従し、権威がそのように言ってるのだからと、自分の考えたり判断したりすることを怠ること自体が悪なのです。自分は本当に最善を尽くせたか、自分自身に正直であったかを問うならば、私たちはみな罪人である、ということを忘れてはならないのだと思います。

「普通」だと思っている自分こそが、いつ悪に手を貸すことになるのかわからないのです。ペックさんが挙げているケースには、自分の子供の問題で現れた教養ある夫婦の話が出てきます。彼らは、結局のところはペックさんの指示には従わず、寧ろ反対の処置をとった上で、「先生のご指導に従ってこれこれこのようにしました。」という手紙を送りつけてきたというのです。著者は気づきます。この人たちにとっては、子供の問題に関して、専門家の指導を受けに行き、それに基づいて具体的に行動した、という事実だけが必要なのだと。そのようにすれば、世間的にはいい親、子供の教育に熱心な親だと見られるからであって、実際に子供が立ち直れるかどうかには関心がないのだと。

私たちは誰でも「善人」、「いい人」でありたいと願っています。他人からはよく思われたいと思うのは当然のことです。だからといって、欠点や悪いところがないと思い込むのは危険だということです。自らの欠点や悪いところを認めずに、「善人」であろうと努力することの中から私たちは「邪悪」な存在へとなっていってしまうようです。

勿論、私たちは「善人」であるように努力はしなければなりませんが、同時に、常にあのマタイ伝の言葉を忘れずに、自分の欠点や悪と向き合うことができなければならない、ということなのでしょう。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

November 12, 2005

自分の中の「悪」と対峙する

また悲しい事件が起きました。高校生が同じ高校に通う女生徒を殺害するというあまりにもショッキングな事件です。そして、こういう事件が起こると必ず聞かれるのが、「どうしてあの子(人)がこんなことを!?」という言葉です。ニュースの取材に答える人たちは決まって「大人しくて真面目な子(人)でした。」とか何とか言うのです。こうした言葉をこの1年だけでもどれだけ聞いたことでしょう。最早、「真面目で大人しい、人付き合いもいい普通な人」であれば犯罪を犯さないという図式は崩れ去っています。「真面目で大人しい、人付き合いもいい普通な人」が犯罪に関わってしまうケースが増えてきているということを私たちは認識しなければなりません。

真面目だったり大人しかったり、普通だったりするということが悪い、と言っているのではありません。こうした「どうしてあの子(人)が?」という発言の裏には、あくまでもこうした見た目だけで、例えば学校であれば教育がうまくできていると、よしと判断されて来たという事実があるのではないでしょうか。ある人が人を殺すまでに至ったには、相当な内面の、精神的葛藤があったことでしょう。その内面の不安や葛藤を取り除いてあげるような教育が、一体どれだけされているのでしょうか。カッターナイフで同級生を切り付ける事件が起こると、すぐに持ち物検査、カッターナイフの使用禁止、という表面的な方向にばかり向っているように思います。

数年前にベストセラーになったスコット・ペックの『平気でうそをつく人たち―虚偽と邪悪の心理学』(草思社 1996)はこうした状況に実に示唆を与えてくれる本です。但し、著者本人は「はじめに――取扱注意」で「この本は危険な本である。」と注意を促しています。

「私はこの本を、必要だと信じたから書いた。全体としてみればこの本は、治療効果もしくは癒しの効果を有するものだと私は信じている。

「とはいえ私は、不安を抱きながらこの本を書いたことも事実である。この本は潜在的に有害な本である。読者の中にはこの本によって苦痛を受ける人もいるだろう。さらに悪いことには、この本に書かれていることを悪用して他人を傷つける人もいるかもしれない。」(前掲書 P3)

この本は、著者がその臨床体験を通して、「邪悪」という一種の病気と判断せざるを得ない人たちがいること、その為の「善と悪の心理学」とも言うべきものの必要性を訴えています。「邪悪」とか「悪」とか、或いは「善」とかは道徳・倫理・宗教の言葉であり、科学はこうした価値観を持ち込まないようにして発展してきたわけですが、科学の一分野である心理学がより実効的になるには、「悪」とか「邪悪」とかが科学的に定義され、科学的方法をもって研究、その解決が見られなければならないというのです。

著者が「邪悪」と判断した人に共通に見られる特徴として、他人に善人だと思われることを強く望んでいたり、意志の力が強かったりする、どんな街にでも住んでいるごく普通の人だとしています。しかし、そこに潜んでいるのは、自分には欠点がないと思い込んでいる、過剰なナルシシズムであり、罪悪感や自責の念に耐えることを絶対的に拒否し、他人をスケープゴートにして、責任を転嫁する傾向であるというのです。こう書くといかにも悪い人のように感じられるかもしれませんが、本書に書かれているケースを読んで頂ければおわかりのように、正にごく普通の、場合によっては中流以上の教養人で、世間的には「いい人」と思われている人なのです。であればこそ、本人たちは自分の問題に気づかずに心理療法など受ける必要などない、と感じている場合が多く、ますます治療が行えないという厳しい現実もあります。

そのようにごく普通の人に見られることであるので、著者のスコット・ペックさんは、本書の中で何度も、「人を裁くな。あなたがたも裁かれないようにするためである。」(マタイ伝7・1)とそのすぐ後に現れる「あなたは兄弟の目にあるおが屑は見えるのに、なぜ自分の目の中の丸太に気づかないのか。兄弟に向って、『あなたの目からおが屑を取らせてください』と、どうして言えようか。自分の目には丸太があるではないか。偽善者よ、まず自分の目から丸太を取り除け。そうすれば、はっきり見えるようになって、兄弟の目からおが屑を取り除くことができる。」(同7・3-5)という『聖書』の文句を引用します。邪悪の心理学が必要なのは、邪悪な人を選別して裁くためではないのです。著者は次のように言います。

「罪というのは、絶えず完全でありつづけることができなかったというだけのことにすぎない。絶えず完全でありつづけることはわれわれには不可能なことであるから、われわれはみな罪人である。自分にできる最善のことをしなかったというようなことは、われわれにはごく日常的に起こるものである。そして、この自分にできる最善のことを怠るごとに、われわれは、たとえ明白に法に反していない場合であっても、なんらかの罪――神にたいする罪、隣人あるいは自分自身にたいする罪――を犯していることになる。」(前掲書 P96-97)

「最近うそをついたことがない、というほど良心的な人であっても、なんらかのかたちで自分自身にうそをつかなかったかどうか考えてみるといい。また、自分にできることをしなかったとすれば、それは自分自身にたいする背信行為である。自分自身にたいして完全に正直であれば、自分の罪に気づくはずである。その罪に気づかないならば、自分自身に対して完全に正直ではないということになり、それ自体が罪である。これは避けることのできないことである。われわれはみな罪人である。」(前掲書 P97)

私たちはいいことをするようにしか教わっていません。家の親からも、学校の先生からも、いいことだけ教わり、いいことだけするように教わるのです。そして教わった通りにやっていけば、或いは悪いことさえしなければ、必ずいい結果が生れると無意識のうちに期待しているのです。しかし、人生何が起こるかわかりません。予期しない悪いことに遭遇したり、或いは自分の中に悪い心が生まれるかもしれません。そんな時、どう対処したらいいか、私たちは何も教わってないのです。引用した文章にあったように、「そうか、しまった、あの時ああやっておけばよかった」とか、「気づかないとは言え、あの人に悪いこと言っちゃったな」とか、自分が最善でなかったことを受け容れることができればいいでしょう。が、そうでない場合は、自分は悪いことをした、と気づかなければ、これは誰か他の人のせいだ、或いは機械が悪いのだ、世の中が悪いのだ、と周りに責任転嫁していってしまうことになるでしょう。そしてその責任転嫁の行き着く先は、「あの人さえいなければ」という人を抹殺する行為へとつながるのでしょう。

以前にも書きましたが、私がある仕事のことで失敗し、その理由をある人のせいにした時、社長は、じゃあその人がいなければうまくいったのか、あなたはその人がいないことを、死ぬことを本気で考えているのか、と真剣に怒りました。実際に殺人を犯さなくても、私たちは自分の失敗やうまく行かないことについて、得てしてこのように考えがちになるということを忘れてはならないと思います。

念のため強調しておきますが、今回起きた事件の高校生が「邪悪」であるとか、これらのケースに該当すると言っているのではもちろんありません。寧ろ、「普通」と思っている自分たちこそ危ないのだ、ということです。私たちは、自分が直面したり、自分の中に生まれる「悪」に対して心構えができているでしょうか。そしてそれに気づいた時、それを誰か他の人のせいにしようと、責任転嫁しようとしてはいないでしょうか。或いは今日、職場か、学校か、家庭の中か、どこかで、自分のができることを怠けたり逃げたりしなかったでしょうか。私たち一人一人がこうしたことを毎日自分に問うてみることが、よりよい社会、より安心して暮らせる社会への最初の一歩ではないかと思います。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

November 03, 2005

琵琶の話――源博雅と蝉丸

昨日は中国の琵琶の話を書きましたが、今日は日本の琵琶について。

ところで、琵琶であれ、箏(琴)であれ、今に伝わっている曲、或いは少なくとも私たちが普通に耳にできる曲の殆どが、歌の伴奏、或いは雅楽などの管絃の1パートとしてであって、純粋な独奏曲というのが少ないように思います。琵琶は平家物語以来の語りの伴奏が主ですし、箏にしても、三味線組唄などの伴奏がメインで、歌を伴わず、三味線のバックでもない、純粋な独奏曲として「六段」が現れたのが江戸時代の始め頃なわけですから。しかし、先に紹介しました『源氏物語』や或いは『平家物語』などを読んでいますと、その登場人物が或いは箏を、或いは琵琶や笛を、独奏する様子が美しく描かれています。一体、それはどのような響きだったのだろうと当時の音楽に思いを馳せては憧れるとともに、そうした曲が聴けなくなってしまっていることを残念に思うのです。或いは、この間の『源氏』の描写から見ても、きっとこの日本でも即興的に演奏するものも多かったのではないかと思います。そして名人の演奏はまた別の名人へと、口伝え、手伝えに伝えられていったものなのでしょう。本当の優れた演奏というのは、楽譜のような形では残されなかったのでしょう。

そうした口伝えの例として、源博雅と蝉丸の、琵琶にまつわる話が『今昔物語集』に出ていて、大変おもしろかったので、以下に訳して書き抜いておきます。蝉丸と言えば、

これやこの 行(ゆく)も帰るも 別れては
しるもしらぬも 相坂(あふさか)の関

という『百人一首』の歌でどなたもご存じでしょう。カルタに描かれた、背中の曲がったお坊さん姿の蝉丸の絵を思い出す方も多いのではないでしょうか。

一方、源博雅と言えば、岡野玲子さんのマンガ『陰陽師』で、安倍晴明との絶妙なコンビでご存じの方も多いでしょう。マンガではどちらかと言えばかっこいいんだけどどこかトンチンカンなボケ役として描かれていますが、音楽の世界では名だたる人で、博雅三位(はくがのさんみ)として知られ、雅楽でよく演奏される「長慶子(ちょうけいし)」はこの人の作曲になるもの。天皇の命により楽譜集の編集なども手がけてまして、岡野さんのマンガでも内裏が炎上し、多くの楽器や楽譜が失われる中、必死で大事な楽譜を火の中から持ち出そうとする姿が描かれていましたね。

そんな蝉丸と博雅の話です。ちょっと長いですが、お楽しみ頂けるかと思います。

     *   *   *

今となってはもう昔のことだが、源博雅朝臣(ひろまさあそん)という人がいた。延喜(えんぎ)の御代と言われた村上天皇の皇子(みこ)で、兵部卿(ひょうぶきょう)の親王(みこ)と呼ばれた克明親王のお子であった。あらゆることに秀でた人であったが、特に管絃の道を極めていた。この人の弾く琵琶は誠に妙なる響きがし、笛を吹いてはその音色が何とも言えず美しいのだった。この人は村上天皇の御代に殿上人であったが、さてその頃、逢坂(おうさか)の関に一人の盲(めしい)が庵を編んで住んでいた。その名を蝉丸と言う。この人は敦実(あつざね)という式部卿の宮の雑色(ぞうしき)、つまり官位のない使用人であった。この式部卿の宮は宇多天皇の皇子で、管絃の道に秀でた人である。この宮が日頃琵琶をお弾きになられるのを長年耳にしていて、蝉丸も妙なる琵琶を弾くようになったのである。さて、例の博雅朝臣は、管絃の道を求めるその熱心さには一方ならぬものがあり、逢坂の関の盲が琵琶の達人であると聞いて、これは何としても聞きたいものだと思ったものの、この盲人が住んでいるところがあまりにひどい所であったので自分では行かずに、人を遣わしてそれとなく、「どうしてこのような人が住むとも思えないような所に住んでいらっしゃるのですか。都にお住みになればよろしいものを」と言わせてみたところ、蝉丸はこれを聞いてそれには答えず、ただ、

世の中は とてもかくても すごしてむ
宮も藁屋(わらや)も はてしなければ

<この世の中は どのようにしたところで こうして生きていることができます
 宮殿にいようと藁の家にいようと 上を望めば限りがありませんよ>

と詠うのみであった。使いの者が博雅のもとに帰ってこのことを伝えると、博雅はこの話を聞いて非常に心を引かれるものがあり、「自分は管絃の道についてはあらゆることを極めたいと、その情熱は誰にも負けないつもりだ。だからこそどうしてもこの盲に会いたいと思うのだ。が、この盲いつまで生きているかわからぬ命。いや、それは自分とて同じこと。琵琶には「流泉(りゅうせん)」、「啄木(たくぼく)」という秘伝の曲があると言うが、そういう名曲は決して世に絶やしてはならぬもの。もしやこの盲こそこうした秘曲を知っている唯一の人かもしれぬ。何としてもこの人がその曲を弾くのを聞かないわけにはいかない。」と思い、夜になると逢坂の関へと向うのだった。が、当の蝉丸はその晩その曲を弾かずにしまった。博雅は次の夜もまた次の夜も、夜な夜な逢坂の関の庵の近くに潜んでは、今弾くか、今弾くかと覗きみながら聞くのだったが、いつまでたっても蝉丸がその曲を弾くことはなかった。このようなことが3年続いたが、さてその3年目の8月15日の夜のことだった。月の上の方に雲がかかり、風が吹いて来たのを、博雅は、「ああ今宵は何と風情のある夜なのだろう、逢坂の盲も、このような夜にこそ『流泉』、『啄木』のような秘曲を弾くのではなかろうか。」と思い立って、いつものように逢坂の関に行って庵の近くでじっと立ち聞きしていたところ、盲人は琵琶を掻き鳴らしながら深く感じ入っている様子である。博雅は、おおこれはいい感じになってきたと嬉しく思いながら聞き入っていると、この盲人は独り心を深く感じながら次のように詠い出したのだ。

あふ坂の 関のあらしの はげしきに
しひてぞゐたる 世をすごすとて

<逢坂の関に嵐が激しく吹きすさぶ中
 それを避けずに 私は敢えてここにいるのだ
 世を生きるとはそういうものなのだ>
 
そう詠いながら琵琶を打ち鳴らすではないか。これを聞いて博雅は、感激のあまりに涙が止まらなくなってしまった。そのうちにこの盲人はぼそっと独りごちた。「ああ、何と風情のある夜であろう。もし世の中に私の他にも風流を解する人がいて、そんな人が今夜ここに来てくれたらなあ。きっといろいろと物語りなどしながらこの夜を楽しむことができようものを。」博雅はこれを聞いてとうとう声を出して名乗り出る。「宮中にお仕え申し上げる博雅という者が今ここに参ったぞ。」盲人が、「そのように仰せられるのはどなたにございますかな。」と訊くので、博雅は、「自分はかくかくしかじかの者である。管絃の道が何よりも好きで堪らず、実はこの3年というもの、この庵を訪れておりましたが、幸いなことに今宵こうしてお会いできたというわけです。」と言う。盲人はこれを聞いて喜び、博雅もまた喜んで庵の中に入り、互いに話に花を咲かせるのだった。やがて博雅が言う。「『流泉』、『啄木』という曲はどのように演奏するのでしょう。」盲人は、「お亡くなりになった宮様は、このようにお弾きになられてございます。」と、その演奏の仕方を博雅に教え伝えた。博雅はその時琵琶を持ってきていなかったので、口頭でこれを習い覚え、その都度喜びに耐えないのだった。庵を出て都に戻る時にはもう夜が明けはじめていた。

この話に思うことは、何事につけてもどんなものでも、好きになると言ったらこのようにとことん突き詰めて好きにならなくてはならない、ということだ。最近はどうもそうではないようで、だから昨今はどのような道や芸においても達者な人が少ないように思われる。これは実に残念なことだ。蝉丸は決してその素性は高貴ではないのだけれども、お仕えする式部卿が琵琶を弾かれるのを長年耳にしていて、このように琵琶を極める達人となったのである。ただ、目が見えなくなってしまったので逢坂の関に隠居していたに過ぎないのだ。盲僧琵琶というものが始まったのは、これより後のことだと、人は今に語り伝えている。(佐藤謙三校注『今昔物語集 本朝世俗部 上巻』(角川文庫 1954)P119-121参照)

     *   *   *

『今昔物語集』の著者や蝉丸のことについてしかコメントしていませんが、3年も夜な夜な通い続ける源博雅の情熱もハンパではないですね。正に、ものを好きになるとは――そして人を好きになるのも――こうでなくてはいけないのでしょう。それでは長くなりましたのでこの辺で。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

November 01, 2005

具体的な現実認識としての禅

道元の話の続きです。

道元、と言えば禅のお坊さんですが、私は大学生の時に、この禅というものにいかにも日本らしい文化と言いましょうか伝統と言いましょうか、そういうものを見ていたのです。仏教のいろいろある宗派の中でも、この禅は宗教というよりは深遠な哲学のようなところがあって好きなのでした。その頃の私は、世の中や人生を虚しいもののように感じていたこともあり、「花を花と見て花と見ず」とか「不立文字(ふりゅうもんじ)」とか、現実を越えたような禅の世界に魅力を覚えていたのでした。

ところが、今、こうして道元の書いたものを読んでみると、少なくとも彼の禅は私がかつて考えていたようなものではなく、より具体的に現実を捉え、具体的に自分をも周りをも変えていくものであることがわかったのです。昨日ご紹介した文章なども、身体で学びなさいとか、今ここで自分が生きている現実をそのまま受け止めなさいとか、仏教というよりは、これはもう現代のカウンセリングか何かの世界ですね。道元の『正法眼蔵』は、今から760年も前に書かれたものでありながら、現代に生きる私たちの生活にそのまま通じる、普遍的な内容をもった本だと思います。

そんな具体的な現実に基づく例として、「現成公案(げんじょうこうあん)」という文章の一番最後に置かれている話がおもしろかったので、ここにご紹介しておこうと思います。「現成公案」は岩波文庫版ではイントロダクションの「辧道話(べんどうわ)」に続いて一番最初に掲げられているもので、現実をあるがままに捉えることの大事さを述べた文章で、どうも「般若心経」をベースにしているらしいのですが、「心経」よりずっととっつきやすくわかりやすく、おもしろい文章だと思います。

さて、その「現成公案」の最後に次のようなくだりがあるのです。

「麻浴山(まよくさん)の宝徹禅師が、ある時扇で仰いでいるところに、一人の僧が訪れて来て禅師に問うのでした。
『風性は常住にして、処として周(あまね)からざることなし、と言います。風の本性、本質はどんな時でも、どんな所にもある普遍な存在で、それが至らないところなどない、ということですが、もし風性がどこにもあるのであれば、先生、先生はどうしてわざわざ扇で仰いだりなされるのですか。』
禅師が言うには、『なるほど、あなたが知っているのは「風性常住」という言葉だけのようですな。「処として至らずということなし」ということの具体的な筋道については全くもっておわかりになっておられませんな。』
僧が重ねて問います。『それでは、その「処として至らずということなし」の具体的な道理について教えて下さいませんでしょうか。』
この時、禅師は何も言わず、ただ扇で仰ぎ続けるだけ。
僧は『ありがとうございました。』と頭を下げ、その教えに対して礼を述べたのです。」

おわかりでしょうか。私たちは真理、物事の本質を知りたい、窮めたいと願っています。それを見極めるためにいろいろ勉強もするのです。が、勉強をして、本質だけを学ぶ、などと言うことは所詮できない話なのです。「風の本性は常住、どこにでもあるのだから、わざわざ扇で仰がなくてもいいではないか」というのは頭でっかちな屁理屈です。風の本性を真にわかりたいと思うなら、いろいろな風を具体的に経験しなければならないでしょう。宝徹禅師は、僧の最後の質問に答えなかったのではなく、こうして扇で仰いで風を感じてこそ、風の本性がわかるのだよ、と教えたのでしょう。頭であれがいいこれがいいと突っ走るのではなく、具体的な現実をちゃんと認識し、経験しなさい、ということを道元はここでも伝えているように思います。

実はこの風性の話は、単に風のことに止まらないのでしょう。道元は若い頃、人は皆仏性(ぶっしょう)、つまり仏としての本性を生まれながらにして持っていると教えられ、しかし、生まれながらにしてそのような性質を持っているのなら、何故わざわざ修行しなければならないかわからなかったと言います。これを先輩の僧たちに聞いても、誰一人道元のこの疑問に答えてくれる人はおらず、それで道元はその答を見つけるべく、様々な師の許を訪ね、中国にまで渡ることになったのだそうです。とすれば、風性を仏性と読みかえれば、先の話の僧はどこか道元に似ています。きっと道元もどこかの高僧にこのように尋ね、はっとしたに違いないと思うのです。

そういう道元の言葉であればこそ、まず具体的な現実をちゃんと認識しなさい、ということが、真実と普遍性に溢れた力を持っているのです。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

October 31, 2005

道元――今ある自分から始めるということ

身体の話と、自律、ということで思い出したのが道元の『正法眼蔵』です。これはなかなかすぐに読める、という本ではないのでじっくりじっくり、折に触れて読んでいますが、その中に「身心学道」という文章があるのでここに訳しながら書き抜いておきます。(私が読んでいるのは道元著・水野弥穂子校注『正法眼蔵(一)』(岩波文庫 1990)、これを参考に書いていきます。)

私たちは真理への道の中に生きているのであるから、その道から外れようとしても外れることはできない。その真理への道を学ぶことを敢えてやめようとするならば、私たちは真理というものから遠く大きく外れてしまう――そんな風に述べてこの文章は始まります。では、その道を学ぶにはどうすればいいのか。「真理への道を学ぶには二つの道があります。いわゆる、『心をもって学ぶ』ということと、『身をもって学ぶ』というこの二つです。」これがこの文章のタイトル「身心学道」の所以です。以下、「心をもって学ぶとは」と、「身をもって学ぶ道というのは」と、大きく二つに分けて議論が進んでいきます。

その「身をもって学ぶ」段の冒頭は次のように始まります。

「身学道というのはこの身体に真理を学ぶということです。この赤い肉体に学ぶということです。この身は人間として生きるようにできています。この真理の中で生きているものは全て身なのです。この世界は四方八方、どこまで行っても自己の真実である人体の中にあります。生も死も、過去も未来も、全て自己の真実であるこの人体の中にあるのです。この身体を使ってこそ、殺生、偸盗(ちゅうとう)などの仏教で言う10の罪悪を離れ、或いは殺生、飲酒などに対する8つの戒めを守り、仏法僧の三宝に帰依したり、出家したりすることができるのです。それこそが真実の学ぶ道なのです。その意味で「真実人体」というのです。これから真理の道を学ぼうとする人は、学んだり修行したりしなくても、自然に悟りが開けるなどという、外道(げどう)にゆめゆめ陥ってはなりません。」

この世に生きて、ものを見、聞き、あるいは何かを考え、わかるのも、この身体あってのこと、ということでしょう。何かものを分かるという時に、この身体を忘れてわかるなどということはあり得ない、従って、この身体にこそいろんなものを学びなさい、ということなのでしょう。

この文章の直前は、「心をもって学ぶ」について語る中で、「平常心」について述べています。「平常心」で思い出すのが、何故か私の実家に中曽根元内閣総理大臣の揮毫になる「平常心」と書かれた額が掛けてあるのです。いつもこれを見ながら複雑な気持ちになるのですが、それは「平常心」という言葉がかつて私も好きだったからです。どんなことがあっても上がったり下がったりせずに、心を静かに一定に保つ、というようなことかと思っていました。そんな風に生きることができたらいいだろうと思いつつ、しかし、その一定、というのは何を基準にしているのか、そんな基準はあるのか、あったとして、わかるものなのか? 道元の言う「平常心」はどうもそんなことではないようです。

「『平常心』というのは、こっちの世界、あっちの世界と区別せずに受け容れること、それが平常心です。過去は今ここに生きているという真実の前には去って行くものであり、現在(いま)とは、ここに生きているという真実の中にこそ現れるものなのです。過去が去って行く時にはその全天が去って行くのです。今が現れる時には全地が現れるのです。平常心とはそういうことなのです。平常心がこの心の扉を開く時、それは千の門、万の扉が一瞬にして同時に開き、或いは閉じるようなものなのです。それ故に平常というのです。今ここで、一瞬にして天を覆い、地を覆う、ということを言っても、何のことかわからない、初めて聞いた言葉のようでしょう。くしゃみのように、声は声なんだけれども何の説明も意味もなさない、そんな感じがするでしょう。言葉は言葉であって、あの言葉、この言葉に差があるわけではありません。心もどんな心であろうと同じ、この世のあらゆるものごとも、いいとか悪いとか差はないのです。生きているこの身体は、一瞬一瞬変化し、生まれては死んでいくものですが、弥勒のように悟りを窮めて最高の位、更にはその先へ行った人がどのようであるのかはわかりません。わかりませんが、真理をわかりたい、この道を窮めたいという気持ちがあれば、必ず真理はわかるようになるものなのです。既に、今ここに生きている、という現実があるのですから、そのことを敢えて疑ったりする必要はありません。或いは、もう既に、一体自分に真理はわかるようになるのだろうか、と疑ったことがあるかもしれません。それはそれでいいのです。疑ったり、不安になったりすること、それもまた平常心なのです。」

要するに、「平常心」とは、今、自分がある現実を、あるがままそのままに受け容れる、ということなのでしょう。今あるところから以外は何も始められるはずがありません。今自分がいる状況、条件、場所、そして自分の持っている能力、素質、そして先の話に戻って自分自身の身体、全てここから始めるしかないのです。それらの条件や能力や自分の健康状態を、これこれは悪いからと取捨選択することはできないのです。別の所(「辧道話(べんどうわ)」)で道元は、「しるべし、得道のなかに修行すべしといふことを」と言っています。つまり、自分の中にないものを外に求めるのではなく、既に自分が得たものの中で修行しなさい、ということでしょうか。これらの道元の言葉はいずれも同じことを言っているように思います。

誰しも、生きることの意味、この世の真理をわかりたいと思うでしょう。それがわかればもっとよく生きられるのではないか。私もかつて、その真理は真理として、どこか自分の外にあって手に入れるようなものかと思っていました。それでいろんな本を読んだりしたのですが、実は真理に至る道というのは、そしてよりよい生き方というのは、今、自分がいるところをちゃんとわかるということから始まるということなのですね。その意味でも、自分の身体のことをちゃんとわかる、ということが大事なようです。

| | Comments (2) | TrackBack (1)

October 25, 2005

ロマン・ロランの『ベートーヴェンの生涯』

ベートーヴェンの後期ピアノ・ソナタについて書いた時に、ロマン・ロランの『ベートーヴェンの生涯』から少し引用しましたが、引用するのに久し振りにこの本のページを繰っていて、あの、懐かしい序文を久し振りに読みました。そして、この本を読んだ高校生の頃の気持ちが蘇ってくると共に、今、改めて読み直しても、全然古くないどころか、今の自分の内面の動きと重なり合いながら、新たに力を与えてくれるものであったのです。

私は、ベートーヴェンの数ある曲の中でも、やはり交響曲第5番、あの「運命」という通称で知られ、あまりにも人口に膾炙しすぎた観すらあるあの曲が大好きなのですが、フルトヴェングラーが第二次大戦後にベルリンに戻って来て振った時の演奏を聴きながら、それはやはり、その音楽の中に、どんなに厳しい、困難な状況であっても、それを乗り越え、最後には歓喜に至る、強い精神を感じるからだと気づいたのです。それは正に、ロマン・ロランの伝記の最後の一文、「『悩みをつき抜けて歓喜に至れ!』Durch Leiden Freude.」に表されていると思うのです。

そして、そのベートーヴェンの音楽を文章に移したようなのが、このロマン・ロランの序文のように思えるのです。ここに少し抜き書きしておきます。

「空気は我らの周りに重い。旧い西欧は、毒された重苦しい雰囲気の中で麻痺する。偉大さのない物質主義が人々の考えにのしかかり、諸政府と諸個人との行為を束縛する。世界が、その分別臭くてさもしい利己主義に浸って窒息して死にかかっている。世界の息がつまる。――もう一度窓を開けよう。広い大気を流れ込ませよう。英雄たちの息吹きを吸おうではないか。」(ロマン・ロラン『ベートーヴェンの生涯』岩波文庫 1965 P15)

この文章が書かれたのは1903年、今から100年も前ですが、「旧い西欧」と言わず、現代の日本や世界が置かれている状況はこの100年前の表現と何ら変りないように思います。相変わらず社会が、世界が窒息しそうなこの状況を打ち破るのは、やはり私たち一人一人の中に生きる英雄的精神なのでしょう。どんなに絶望的な状況であっても、必ずそれを乗り越え、使命を果たしていく強い精神。そのような内なる精神に再び火をつけ、その力を蘇らせることこそ今の私たちに求められているものなのではないでしょうか。

この文章の後、ロマン・ロランは書いています。

「思想もしくは力によって勝った人々を私は英雄とは呼ばない。私が英雄と呼ぶのは心に拠って偉大であった人々だけである。」(前掲書 P16)

それでは、また。

| | Comments (2) | TrackBack (0)

より以前の記事一覧