October 17, 2007

北京へ!(8)〜アジアはひとつ、世界はひとつ

このブログも随分長いことお休みしてしまいました。北京から帰って来てから、あまりにいろんなことがありました。そう、あれからもうひと月以上も経ってしまったのですね。あっと言う間に。

そこで、この間のそのいろんな出来事というのを書かなければならないのですが、実は私の北京紀行は、もう少し続くのです。そこで、もう暫く——と言っても、今日で一旦終わりにしますが——お付き合い下さい。

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さて、北京での「高句麗伝説」コンサートがはねて、盛り上がったまま醒めることを知らない私たちもいつまでもそこにいるわけにも参りません。ホールを出て帰途に就いたのはもう夜の10時をとっくに回っていました。この公園の開園時間は10時までなのです。辺りはすっかり真っ暗になっていました。ツアーで来た皆さんはバスに乗ってホテルへと向かいますが、私は今回単独行動なので、とりあえずみんなと一緒に公園を出た後は自力で——バスかタクシーで——自分のホテルに戻ることになります。と、何と私同様単独で日本から来た女性の方がいらしたので、夜道は危ないからと、彼女をホテルまで送ることにしました。

送り届けてふと時計を見るともう11時を回っていました。暑くて喉も渇いたし、そう言えばお昼にカップ麺を食べたきり何も食べていないのを思い出しましたが、この時間では開いているお店もありません。何よりバスも殆ど走っていません。東京だって11時過ぎればバスも少なくなりますよね。こうなったらもうとにかく早くホテルに帰りたいと、運よくバス停のところでタクシーを捕まえて乗り込みます。やっぱり夜のタクシーは速い。あっという間にホテルに着きました。

ホテルに着くと、その向かいにある、野外喫茶のようなところが賑わっているのが見えました。どちらかと言えばこの時間、食事とお酒という感じでしょうが、もう喉が渇いて渇いてしょうがないので、ここは水でもコーラでもビールでも何でもいいからとにかく水分を補給したいとその店のカウンターに近づいていきました。ああ、あったあった、冷蔵庫にいろんな飲み物が入っているのが見えます。そこで、飲み物がほしい旨伝えたのです。すると、応対してくれた女性は、困った、という顔をして、「ごめんなさい、もう閉店なんです。売れないんです。」と言うのですね。私が目の前にあるのになぁ、という顔をして冷蔵庫の方を見ると、彼女も同じ所に視線をやって、「本当にごめんなさい。ダメなんです。」と真剣に謝るのですね。

中国でものを尋ねて「没有(めいよう)」と言われるのには慣れています。あってもないのが中国。料理屋などでは面倒なものはメニューにあっても「ない」と言われるのは日常茶飯事です。以前北京かどこかの空港で飛行機を待つ間食事でもしようと思ったら頼むもの頼むもの全て「メイヨウ」で、じゃあ何があるんだと聞いたらカレーライスだと言う。何で中国に来てカレーを食べなきゃいけないのかと思ったりしましたが、まぁ、カレーは大好きなのでよしとしてやむなくそれに決めたことがありました。そんなこんなで、「ない」と言われても、「ああ、またか。算了(スワンラ)=しょうがない。」と流すクセがついていました。どんなに争っても、彼らがないと決めたらないのですから。

ところが、この時は何かが違いました。彼女が真剣に謝るその表情から、彼女が本当に申し訳なく思っていること、そして同時に、彼女が困っていることが痛い程伝わってきたのです。「今正に目の前に飲み物はたくさんあって、売ってあげたいし、売ればお金になるんだけれど、売るとあたしたち大変なことになるんです……。」そういう空気がひしひしと伝わってきたのです。そうしなければならない何か、守らなければならない決りのようなものの存在を感じないではいられませんでした。

そこで彼女に礼を言ってその場を離れた僕は、ふとある考えに辿り着いたのです。中国人の「メイヨウ」とか接客の悪さとかはよく言われていて、それは中国人の国民性とか文化のように思われているのだけれど、本当はそうではないのではないか。彼らがそうしているのは、本質的にそうなのではなく、そうせざるを得ない政治体制の中で生きているからではないか。その体制の中で、個人個人は知らず知らずのうちにある習慣や行動様式を身につけてしまうのではないか……。

私はここで中国の人や政治体制の批判をしているわけではありません。このことを突き詰めて考えれば、私たち日本人も同じことです。日本人にとってごく当たり前な習慣や行動様式も、知らず知らずのうちに日本の政治体制の中で身につけてしまったものかもしれない。だから中国や韓国の人から見るととんでもないということがいろいろあるのかもしれない。

そう考えると、本当は国民性なんていうものはないのかもしれないと思うのです。実は、それは、「国」というものが生んだ、お互いが理解し合い、気持ちが一つになるのを阻むベールや壁のようなもので、人間の本質は変わらないのではないでしょうか。今回の短い旅行の中で、実はこの私に応対してくれたウエイトレスほど気持ちが通じ合う経験をしたことはなかったのです。彼女と出会わなければ、僕は相変わらず中国人はこうだ、とかわかったつもりで彼らを見ていたかもしれません。が、彼女のおかげで、同じ人間としての共通な何かを見つけたような気がしています。そしてその共通な何かこそ——。

そう、それは、さきほど聴いた「高句麗伝説」の最後のいだきしんさんのやさしいピアノの音、あれに通じるものだったのです。現実は、様々な政治体制に阻まれていますが、しかし、あの感じで私たち一人一人が互いに接していくことができれば——。

きっとアジアがひとつとなり、ひいては世界がひとつとなり、平和な世の中、平和な地球になるのだと私は確信したのです。今回の短い北京旅行で一番よかったのは、コンサートを通じて、このような貴重な経験と未来への確信を持てたことです。ありがとうございます。


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September 28, 2007

北京へ!(7)〜「高句麗伝説」コンサート

シャワーを浴びると5時10分にはホテルの部屋を後にした。先ほどの天安門観光で30分もかからないことはわかっているが、やはり夕方のこの時間は北京ならずともラッシュに巻き込まれる可能性がある。7時半の開園には早いと思ったが、もう待てない、というのもあってたまらず飛び出した。

天安門に行った時と同じバス、同じ道を通って5時半には中山公園に着いた。コンサート会場の音楽堂の場所を確認すると、折角なので公園内を散策する。この公園も城壁の内側にあることからわかるように、本来宮廷の一部——皇帝が五穀豊穣を祈った祭礼の場所らしい——なのだが、近代中国革命の父である孫文=孫中山が北京で亡くなった折に、そのご遺体が現在の公園内にある中山堂にしばらく安置されたことを機に、中山公園となったのだという。当然、孫文の銅像もある。なるほど、いかにも革命のリーダーらしいお顔の方だ。しかし、このような場所で行われるということは、今回のコンサートの重要さ、意味の深さの証明にもなっていると思う。

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革命の父、孫文の銅像

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孫文のご遺体が安置されていたという中山堂

公園は意外と狭く、すぐに回りきってしまったので、音楽堂前のベンチで、デジタル・オーディオ・プレイヤーに録れてきたいだきしんさんの新しいCDを聞きながら開場を待つ。そのうち、驚いたことに私とは別に、単独で日本から来たという人が現れた。聞けば、来る途中、信号機が壊れていて車が完全に止まっているところもあったという。やはり早めに出て来てよかった。

会場に入って初めて知ったのだが、今回は高麗恵子さんやいだきしんさんの単独コンサートではない。前座というか、別の、現地のバンドの演奏もあるのだと言う。そればかりか、「高句麗伝説」のタイトルもない。あとでわかったことだが、このコンサートは日中友好35周年の一環として行われ、従って第一部が現地のバンド、第二部が日本の代表として「高句麗伝説」という構成なのだった。コンサートのタイトルも「歴史を超えた新しい時代の愛の楽章」というのだ。

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ロビーに掲げられたポスター

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開園前のステージのセット——中国のバンドの分と予め2セット分用意してある

さてその前半の中国のバンドというのは「ハーヤ」というのだが、中国では有名らしい騰格爾(トン・コーアル)という人の「蒼き狼楽団」というのがあって——いかにもチンギス・ハーンの血を引くモンゴル属らしい名前だ——、その楽団にいたメンバーが中心となって結成されたバンドで、馬頭琴(モリン・ホール)やホーミーといったモンゴル伝統の音楽をベースに、エレキギターやシンセサイザーなどのロックの楽器を取り入れた音楽をやるミュージシャン集団だ。ただ、正直、彼らの演奏で私はぐったりと疲れてしまった。同じミュージシャンとしてやりたいことがわからないではないが、どうも意識が先行していて無理があるように感じたのだ。中にはモンゴルの民謡のような歌や馬頭琴本来の演奏もあったが、こちらの方がずっとよかった。何だかもったいないようにも思ったが、これからが楽しみかもしれない。

そして、第二部、いよいよ「高句麗伝説」のはじまりである。オープニングはいだきしんさんの笙ではじまり、続いてパイプオルガンの演奏。やはり生命の深奥に響くいだきさんさんの音は素晴らしい。ほっと癒され、先ほどの疲れはどこかへ行ってしまった。途中、いだきしんさんのピアノと先ほどのハーヤの馬頭琴奏者との共演があったが、さきほどとは打って変わり、実に豊かな、この広い大地と空とを思わせ、癒される音の空間が広がった。いだきしんさんと共演することで、彼ら本来の音が引き出されたのだろう。この経験を経て彼らが今後どのような音楽を展開していくのか、やはり気になるところだ。

しかし、この日、一番の衝撃だったのは高麗恵子さんが「若光王」の詩を読むところだった。いだきしんさんの音楽の雰囲気ががらりと変わったところから、体中がゾクゾクと震えた。何かただならぬ予感であった。そして——。これはもう、私の拙い言葉では書き表しようのない、ものすごいエネルギーに満ちた瞬間だった。感動というような生易しいものではない。体の震えは治まらず、目からはつーと涙がこぼれていた。

そして最後は、いだきしんさんの力強い太鼓をバックに「東明王」の詩が読まれる。これまたとてつもないエネルギー。と、太鼓を叩き終わったばかりのいだきしんさんはピアノに座り、何とも美しく、やさしい音楽を奏でるのだ。そのピアノのやさしい響きの中に、私は愛ということ、そして、東アジアが、更には世界が一つになることを感じたのだった。ああ、人はこんな風に生きればいいんだと。「こんな風に」と言ってもさっぱりわからないでしょうが、これはもう、いだきしんさんのピアノの音を生で聴いて頂くよりありませんね。10月3日に横浜市開港記念会館で「大地の声」という詩と音楽のイベントが、そして11月28日にはめぐろパーシモンホールでピアノのコンサートがありますので、是非いらしてみて下さい。

いや、とにかくすごいコンサートでした。終わった時の至福感、幸せな感じと言ったらなかったです。日本から訪れたみんなそれぞれ興奮してホールを出ましたが、ロビーに集まっている方々がいます。いつもボランティアで中心的に活動している女性の方々で、高麗さんが彼女たちに感謝して自ら衣装を仕立てて下さったのです。高麗さんの衣装は素晴らしくて、いつも驚かされますが、その高麗さんが仕立てるのですから——。みな、それぞれの人の一番美しいところをそのまま表現した衣装で、それぞれの個性で輝く衣装がずらりと並ぶと、それは壮観なのでした。

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高麗恵子さんの仕立てた衣装を着て——美の競演

そんなわけで、誰もが幸せに満たされながら会場を後にしたのでした。

それでは、今日はこの辺で。

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September 26, 2007

北京へ!(6)〜喉が渇いた、お腹が空いた!

前回、北京は暑くて乾燥していて空気が悪いことを書きました。これは15年前に北京を訪れた時にも感じたことで、変な表現ですが、空気がガサガサしているように自分には感じられるのです。3年前にイランを訪れた時に、あそこも暑くて空気が乾燥していてノドをやられたので、そういう時にはたっぷりと水分を摂るように心がけています。ただ、イランは乾燥はしていても空気が悪いということはなく、むしろ気持ちいいくらいなのですが、どうも北京はガサガサしている。今回、天気はいいはずなのに鈍い空をじっと見ながら気づいたのは、これはもしかしてスモッグのようなものかもしれない、或いはいわゆる黄砂のようなものか——。そう、15年前と比べてはっきり言えるのは、明らかに車が増えていることです。日本が高度経済成長の過程で多くの公害を生み出し、国民の生命が危機に曝された、あれと同じことを今度は中国が繰り返すのだろうか。

まぁ、そんなこんなで、とにかく今回は喉が渇いた。それで、実は、天壇を訪れた時に出店で飲み物を買ったのだ。ミネラルウォーターは海外旅行では必需品だが、私はうがいから食器を洗うのまで全部ミネラルウォーターを使うにも拘らず、今回ホテルの冷蔵庫(ミニバー)に入っているのはエビアンの小さなボトルだったので、朝までのうちに使い切ってしまった。しかも15元もする。そんなこともあって、街に出た時にミネラルウォーターを手配する必要があったのだ。その店ではミネラルウォーターは3元で売っていた。やっぱり……と思ったが、その時、目に入ったものがあった。青い色のラベル、ポカリスエットだ。値段は倍の6元。だが、こちらの方が体になじむ。

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中国のポカリスエットです

「ポカリスエット」は中国語では「宝砿力水特(パオクワァンリーシュイトー)」と言うのですね。これにはなるほどと笑ってしまいました。「宝のような、強い力が湧き出てくる、特別な水」という感じではないですか。うまい! 中国ではどんな言葉も漢字で表現しないといけないですからね、しかも漢字はカタカナと違って意味が伴ってしまいますから、音と意味とがぴったり合ってる当て字には関心してしまいます。因みに、ホテルのミネラルウォーターが足りなかったことを書きましたが、そこで代わりにこんなものもミニバーで見つけて一番水に近いと飲んだりしました。「雪碧(シュエピー)」というのですが、何だかおわかりになりますか? キラキラしたイメージの文字ですが……。

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「雪碧」と書かれたこの飲み物は……?

はい、そうです。スプライトですね。これは15年前に来た時もよくお世話になりました。しかし、このホテルでは12元と高かった!

故宮から天安門を抜けてホテルへと帰ってくる途中、バス停のところにあるキオスクで水を売っていたのでこれを2本買うことにする。1本2元也。ホテルのエビアンの7分の1の値段だ。しかも氷を使って冷やしてあってとてもおいしかった。「康師伝(カンシチュアン)」というブランドだ。

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こちらは中国ブランドのミネラルウォーター

と、そのキオスクにカップラーメンを発見。赤くてうまそうな容器のデザインである。ちょうどお腹も空いた。と言ってレストランに行くのも面倒なので、これで済ませることにした。こんなことを思いついたのもホテルの部屋に電気ポットが置いてあったからで、これでアンドロメダ・エチオピア・コーヒーも楽しんだのだ。このカップラーメン3元也。安い。ちょっと怖い気もするが、ものは試しだ。しかし、外国に来てまでカップラーメンを食べることになろうとは……。

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中国のカップラーメン、水と同じ「康師伝」ブランドの「紅焼牛肉麺」

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パッケージの中身、フォークが入っていた

電気ポットにミネラルウォーターを注ぎながら気づいたのだが、箸がないではないか。さぁどうする? 驚いたことに、パッケージを開けると、中にフォークが入っていたのだ。これは便利だ。助かった。旅行に出る時は割り箸の一膳でも入れておくものだ、と改めて思ったりする。お湯が沸き、カップに注いで3分待つのは全く日本での生活と変わらない。辛口で、ハフハフしながら平らげた。なかなかおいしかったですよ。カップラーメンを買った一つの理由はスープを飲みたかったからかもしれない、と満足した後で思う。

カップラーメンを食べてお腹を満たし、ポカリスエットで水分を補給するとほっと一息つきました。少し休んでシャワーを浴びると、午後5時過ぎ、いよいよ「高句麗伝説」コンサートへと向うのである。

それでは今日はこの辺で。

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September 25, 2007

北京へ!(5)〜故宮=歴史の舞台を歩く

午後1時15分、天安門から見えていた端門を潜ると、その先にもう一つ門が見える。これが午門で、故宮の入口に当たる。例によって門の手前にあるチケット売り場で入場券を買う。60元也。売り場の窓口に近づいたところで、「日本人デスカ? 私がいどデス。詳シイデスヨ。」と寄ってくる人がある。どうもチケットを買うところから自分が世話をしようというつもりらしい。私は無視して窓口に向かい、これ見よがしに「一箇人(イーガレン)!」と中国語で入場券を買って午門の方へと向かう。が、彼はまだ寄ってくるのである。「がいどイカガデスカ?」怪しい日本語でしつこく寄ってくる彼に私も怪しい中国語で応じるのである。「不要(プーヤオ)!」さすがにあきらめてしまった。

午門を潜ると更に前方に門が見える。太和門である。その手前には川が流れていて橋を渡ってこの太和門に至る。但し、太和門の中央の建物(入口)は工事中で、左側の入口から中に入る。と、見えてきた。映画などでもよく出てくる太和殿だ。が、残念なことにこの中心的な建物も工事中。多分、来年のオリンピックに向けて、世界中の人たちに見てもらうために急ピッチで改修工事、お色直しをしているのだろう。太和殿の中に入れないのは残念だが、その前の庭にしばし佇む。ここに清王朝の文官や武官が居並び、壮麗な儀式がなされていたのだ。巨大な国家の中枢。多くの栄光と流血の惨事。その背後にある無数の人々の人間模様。それらを感じながら古(いにしえ)からここを吹いているであろう風にしばし身を任せる。

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故宮の中心、太和殿は工事中だった——ここでしばし歴史に思いを馳せる

この太和殿、そしてその後ろにある中和殿、保和殿を囲む廊下には様々な小部屋が並び、そこは博物館となっていた。そう、現在ここは故宮博物院という、博物館になっているのだ。その所蔵品90万点と言われるが、それでも清王朝の遺したもののほんの一部に過ぎない。大部分は蒋介石が台湾へ持っていってしまったのだ。至宝の品々は殆ど台湾の故宮博物院の方にある。とは言え、所蔵品が多いことに変わりはない。一通り部屋を見てまわったが、今回はさらっと眺めただけだ。武器の類など見ていると、どうも具合が悪くなる。

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故宮の回廊にて——どの方向を振り返っても絵になる空間だ

保和殿まで達すると、また門があり、それを潜るとまたもや壁の向こうに多くの建物が見える。内廷だ。広い庭を前にした太和殿などの外朝が国家の公式行事のための空間なら、内廷は、皇帝の日常の事務や生活の場である。所謂後宮もここにある。壁の向こうには比較的小さな建物が無数に並び、その中にラストエンペラー溥儀が生活したという養心殿などもあるそうだが、ここまでで既に疲れてしまった。北京は日差しが強く、空気も乾燥していて、喉をやられそうなのである。こんな所であまり無理して体調を崩しても、と思い、内廷の中心的建物である乾清宮だけ見て見物は終わりにすることにした。

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保和殿の向こうに更に内廷の建物の数々が

乾清宮は正面に「正大光明」と大きく書かれていて、その下に玉座がある。ここは皇帝の執務室兼寝室で、重要な外交使節の接待や、宮廷内の典礼といったことが行われた所らしい。私のいるところからはよく見えなかったが、寝台は27もあり、皇帝はそのうちの一つを選んで寝たらしい。いつ襲われるかわからないからだ。

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内廷の中心的建物、乾清宮

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乾清宮の扁額は漢字と満州文字で書かれている

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「正大光明」の文字の下、皇帝はここで執務をしたり起居したりしたのだ

乾清宮を後に太和門まで戻るが、結構遠くまで来たものだ、という感じである。これでも今回は半分以上見ていないのだ。後でガイドブックで知ったが、この故宮には8662もの部屋があるらしい。とんでもない数だ。

故宮を後に、午門、端門と過ぎて天安門まで戻ってきた。天安門を潜る時にさーっと心地のよい風が吹く。この時初めて気づいたのだが、ここは建築用語でヴォールとという半円型の天井になっている。ここへ来る時に読んだル・コルヴィジュエの本にあったのだが、このヴォールトは風通しがいいのだそうで、ル・コルヴィジュエもアーメダバードのサラバイ邸をはじめ、好んで使用しているようだ。ふとそんなことを思い出した。

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天安門のヴォールト——心地よい風が吹く中を人が行き交う

午後2時半を回っていた。観光はこれまで。ここで一旦ホテルに戻ってコンサートに備えるのである。

それでは、今日はこの辺で。

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September 21, 2007

北京へ!(4)〜天安門にて

天壇から一旦ホテルに戻って一息入れ、両替を済ませると——今度こそ大丈夫だった——、再びバス停へと向かいます。コンサートは7時半からですが、夕方のラッシュなども考えると会場には6時頃には着いていたい。ちょっと早めに5時半前に出れば大丈夫でしょう。そう考えると、4時くらいまでに帰って来れるように、天安門と故宮を訪れることにしました。天安門まではそう遠くはないので最初は歩いて行くことも考えましたが、やたらと暑くて、更に空気も乾燥しており、下手に動き回ると体調を崩してしまいそうです。ここはおとなしくバスで移動することにします。宣武門からは3つ目が「前門西(チエンメンシー)」のバス停。前門は天安門広場の南側に位置する大きな門で、ここでバスを降りて天安門広場を北に進み、天安門へと向かうことにします。

ところで、この宣武門から前門へとまっすぐに走ってきた前門西大街(チエンメンシーターチエ)はかなり大きな通りで、バスを降りて天安門のある北側に渡るには大きな地下道を通ることになります。この地下道がなかなか怪しいところでありまして、階段と言わず地下トンネルと言わず、いろんな物売りやら胡弓のような楽器を弾いて生活するオジサンやらでごった返しているのです。この胡弓のオジサンの演奏は昨日書きました天壇のママさんコーラスの歌と共にラジオ「DAICHI-大地-」で配信しましたので、是非こちらも聞いてみて下さい。それから、何だかスライムのような怪しいものをさもすごそうに売ってる人がいるのも中国らしいと思いましたし、それより何より、さすが天安門前と思ったのは毛沢東の写真集のようなものを売っている人がいたことで、やはり今だに毛沢東は人気があるのだろうかと思いました。

そうやって地下道を通って北に進み、天安門広場へと向かいます。毛主席紀念堂、人民英雄紀念碑、人民大会堂、中国国家博物館と集まったこの空間は、正に中国の革命の中心地、という感じです。ここであの天安門事件が起こったのも当然と言えば当然かもしれません。ここは常に中国人民が自由のために戦って来た場であると感じたのです。

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天安門広場の中心に聳える人民英雄紀念碑

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そして広場の北側に通りを挟んであまりにも有名な天安門

この天安門広場と天安門の間にも、大きな通り、西長安街(シーチャンアンチエ)が横切っています。再び地下道を通って天安門側に出ます。と、ちょうど地下道を出たあたりがコンサート会場となる中山公園の入口になっていました。夕方にここに来ればいいのだとチェックして、天安門の中心、毛沢東の肖像のある辺りに向かいます。

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天安門と言えばやっぱり毛沢東の肖像ですね

うーん、やっぱり存在感のある肖像だなぁ、とその毛沢東の肖像を仰ぎ見ながら門を潜って北側に出ます。折角なので門の上に上がることにします。入場料15元也。入場は一旦男女に分かれて持ち物検査があり、その後にチケットのチェックがあります。何でもバッグなどは持って入れないそうなので、登るつもりの方は荷物は置いてきた方がいいでしょうね。事前に知っていましたので、私はカメラと財布とパスポートだけ持って手ぶらでここに来たのでした。

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天安門から広場を見下ろす——正面に人民英雄紀念碑と
毛主席紀念堂、右手が人民大会堂

上に登るとさすがに壮観ですね。天安門広場を見下ろしながら、毛沢東をはじめ、中国の指導者たちはこの場所から人民に呼びかけたのだろうかなどと想像するとゾクゾクしてきます。今は観光化されているものの、やはり歴史の舞台に立っていることを感じ、20世紀を通じての中国の革命の歴史——それは流血の歴史でもあるわけですが——を思わずにはいられなかったからです。

それにしても、さすがは皇帝の宮廷の一部だった建物だけに、その装飾は美しいものがありますね。思わず内部を撮ろうとしたら、いいところに看板があって、邪魔だな、と思っているとその看板に「相机(シャンチー)」の文字があるのに気づきました。カメラのことです。あっ、と気づいたのと同じ瞬間、係員からカメラはダメだ、と中国語で注意されました。すみません。中は撮れませんでしたが、どんな感じであったかはこの廊下の廂の写真から窺えるでしょうか。

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廊下の天井です。さすがに美しい。

そして天安門広場を後に廊下を反対側に回ると見えて来ました。故宮です。あの門の向こうにラストエンペラーが生活していたのです。それでは、天安門を降りて、そのラストエンペラーの世界へと歩みを進めてみることに致しましょう。

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廊下を北側に巡ると故宮が見えてくる

が、長くなりそうなので、今日はこの辺で。

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September 20, 2007

北京へ!(3)〜天壇・天と対話した皇帝たち

コンサート当日の9月11日は6時過ぎに目が覚めた。確か両替は7時からとホテルのディレクトリーに書いてあったからちょうどいい。7時過ぎに出掛けて、朝の天壇に行ってみようと思う。

何故両替かと言うと、私はクレジットカードを持っていないので500元のデポジットをしなければならなかったのだ。とりあえず元がないといけないと思い、昨晩空港に着いてとりあえず10,000円分両替したのだが、夜の8時過ぎの時間帯、大きな銀行のカウンターが2社あるのだが、カウンターには誰も人がいない。いや、奥には人がたくさんいるのが見えるのだが、いかにも閉店、という感じで、参ったな、と思ったら両替の自動販売機がある。ここに女性係員が一人だけついていて、操作方法を教えてくれる。両替自体は簡単だったが、何と手数料を40もとられた。従って、手許に残ったのは600元ちょっとであった。そこからバスに乗り、デポジットを払ったらもう100元を切っている。やはり外出するのにある程度ないと不安なので早く両替したかったのだ。

が、例によって(?)キャシアーに行くと、両替は9時からです、とのこと。ディレクトリーと違うぞ、とは思ったが、朝から争う気力もない、「算了(スワンラ)!」仕方ないね、もういいよ、というわけで、もうこのまま天壇に行くことにします。

今回はバスを使いました。前回も書きましたが、前に来た時はハイヤーでの移動が主だったので、自分の足で普通の人たちと同じ交通機関を使って移動したことはなかったのです。会社のお金をたくさん持っての以前の出張とは違い、今回はギリギリのお金で来てますから、節約の意味でも、そして庶民の生活に馴染む意味でもバスを使ってみたかったのです。

天壇へは、宣武門東のバス停から15番の「天橋商場」行のバスに乗ります。2両編成の中程から乗ると、すぐ左手に女性の車掌さんが座っています。「到天橋(タオ・ティエンチャオ)」と告げると、「一元(イー・ユェン)」と返ってきます。そう、たったの1元なのです。北京はこのバスの交通網が発達していて市内を縦横に走っていて、しかも1元とか2元で移動できるので、バス停の位置や系統、そして乗り方を覚えてしまえば実に便利です。

1元札を払って降り口に近い後ろの方へ行きます。バスの中にはテレビがあって、どうも朝のニュース番組や天気予報をやっているようでした。一番先頭には日本と同じく次の停留所の情報などが電光掲示板に表示されているので、中国語が聞き取れなくても安心ですね。

途中の停留所でお年寄りの方が乗って来られると、私の脇に座っていた若い女性がさっと立って席を譲るのです。これが気持ちいいんですよ。実に自然で。バスの中でお年寄りに席を譲るというのは徹底されていて、別なバスでは、車掌さんが怒鳴ってまで気づかないお客さんを立たせるということがありました。ちょっとビックリしましたが、皆当然という感じで、気づかずに座っている若者は冷たい視線を浴びてしまうのです。こういうのは中国人のいいところですね。

天橋というのは天壇公園の西門に面したところにあります。が、最初この西門を見つけられず、結局はぐるっと回って南門から入ることになったのでした。入場するだけなら15元ですが、いろいろな建物に入れる通し券というのが35元であることがガイドに書いてありましたので、当然通し券を買って入るつもりでしたが、果たして「通し券」とは中国語で何というのか? チケット売り場に行くとすぐにわかりました。「連票」と書いてあります。「連票、一箇人(リェンピャオ、イーガレン)」で通じました。愛想のいい女性の係員で、これは? とパンフレットを指さします。「ノー、ノー、プーヤオ」と何だか英語混じりの中国語で応じると、嫌な顔一つせずに、はーい、とチケットを出してくれました。南門から公園に入るとすぐに太極拳をやっている人たちや大きな音でワルツを鳴らして社交ダンスをしている人たちに出会います。かと思うと、水で敷石に書を書いているオジサンもいます。ここは市民の憩いの場なんですね。

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太極拳をする人たち

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地面に書を書いている人がいた

南門から入って最初に出会う建造物は圜丘(えんきゅう)という3層の壇です。この壇の上には何の建物もありません。ただ、壇の中央に丸い石が置いてあるだけです。が、この石が大事なのであり、また建物がないことも重要なのです。かつて明や清の時代の皇帝が、この石の上に立ち、直接天に向かって祈りを捧げ、地上の出来事を報告した場所なのです。天と対話するための壇、正に天壇であったわけです。しかも、この中央の石の所で声を出すと、大きく反響して聞こえるから不思議です。皇帝たちはそうやって天に向かって声を響かせていたことでしょう。中国の朝廷なんていうと、権謀術数蠢く怪しい世界のようにも感じられますが、清という、ごく最近の時代まで、皇帝はやはり天とともにあることが求められていたのでしょう。天に見放されること即ち皇帝の資格を失うということであったでしょう。

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皇帝が天と直接対話したという圜丘

天を感じていたくて、じっくりとここの空気に浸っていたかったのですが、いかんせん、8時過ぎというこんな早い時間からここは観光客でごった返しているのです。中央の石には次々に人が乗って記念写真を撮ります。そして、ガイドさんから説明を受けているのか、誰もが天を指して写真を撮ってもらうのです。

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みんな皇帝が立った中央の石の上で写真を撮るのだ

圜丘を後に北へ進むと次に見えてくるのは皇窮宇(こうきゅうう)という円い建物ですが、案内板はこの正確な名前ではなく「回音堂」というように書いてあったように思います。実は、この建物の壁に向かって小さなつぶやくと、その反対側の壁に向かっている人にだけはっきりと聞こえるという効果があるためその名前で呼ばれるのです。イランのエスファハーンにも同じ効果が得られる建物があって、大変不思議でおもしろかったのですが、残念ながらその名前にも拘らず中国版のそれは体験することができませんでした。しかし、それより何より、この小さな建物は美しい。天井の芸術を眺めながらやはりイランのドームを私は思い出していました。ペルシャ、中国、そして飛鳥、美の伝統は大陸を越え、時を越えて今を生きる私たちに伝えられるのです。美、それこそが私たちを民族や文化、宗教や政治を越えて、ひとつにし、永遠と平和へともたらすものであるでしょう。

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皇窮宇の天井、美しい

皇窮宇から更に北に向かうと、長い橋を渡ったところに祈念殿があります。天壇と言うと旅行写真などではまずこの建物が映っていますね。堂々とした風格のある建物。今回初めて気づいたのですが、この建物が建っているのは圜丘と同じ三層の壇ですね。南と北とに相対するように配置されていることからもこの二つがセットとして設計されたのでしょう。ここは皇帝が五穀豊穣を祈った場所だと言います。

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天壇の象徴のような祈念殿

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ちょうど祈念殿の上に太陽が

祈念殿を後に、また同じバスでホテルに戻るために西門へと向かいました。公園は緑に覆われ、実に気持ちのいい空間です。やはり、いろんな人が思い思いに今を楽しんでいます。バドミンドンする人、凧を上げる人、そして突然聞こえてきたママさんコーラス……。

国を治めるために天と対話した皇帝の祭壇は、今は広く人民に開かれているのでした。楽しそうに遊ぶ中国の人たちを見ながら、天と地と共にあってこそ人は幸せなのだ、などと思うのでした。

それでは、今日はこの辺で。


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September 19, 2007

北京へ!(2)〜15年振りの中国

何だか北京から帰って来てからあまりに多くのことがあって、帰って来ましたの報告もないままに日が過ぎてしまいました。先にラジオ「DAICHI-大地-」の方で大まかな報告はさせて頂きましたけれども、まぁ、本当に今回はいろいろと貴重な経験をさせて頂いたので、例によって数回に分けてこの旅行のことを書くことにします。

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出発間際のブログでも書きましたけれど、今回はグズグズとギリギリまで迷っていたこともあって、結局はツアーには乗れず、一人旅となったのでした。20代の頃、初めての海外出張は正に中国やヴェトナムでしたが、それは一人での旅行でした。15年振りの中国、久し振りの一人旅と、ちょっとした緊張を持っての出発となりました。

緊張を持って、とは言いながらも、2泊3日の短い旅ということもあり、バックパック一つという身軽なものでした。このバックパックに着替えを詰めて、機内の読み物として読みかけになっているニール・スティーヴンソンの『スノウ・クラッシュ』の下巻と安藤忠雄さんが書いた『ル・コルビュジエの勇気ある住宅』(2004 新潮社)を投げ込み、ありがたいことにちょうど前日定期購入しているアンドロメダ・エチオピア・コーヒーが届き、それにはいだきしんさんのピアノ・インプロヴィゼーションのCD第4段が入っていましたので、コーヒーのドリップパックもバックパックに、それからいだきしんさんのCDもデジタル・オーディオ・プレイヤーに取り込みます。いだきしんさんの音楽は旅行の時は本当にありがたいのです。狭い空間に閉じこめられて苦しいような時、いだきしんさんの音楽を聴いていると、本当にリラックスでき、必要な時にはぐっすりと寝ることもできるのです。

着替え、本と音楽とコーヒーとカメラ、これだけあれば充分です。ちょっとそこまで、という感じで成田へと向かいます。成田までは結構ありますね、やっぱり。結局成田に着くまでに『スノウ・クラッシュ』は読み切ってしまいました。いやー、本当にこれはおもしろかった。前にも書きましたが、ハッカーで剣の達人なのにピザの宅配をして生活をしのいでるヒロという青年と、スケボーに乗ってクーリエの仕事をしてる15歳のYTという少女の2人の主人公が魅力的だし、文章にスピード感があり、読んでいるというよりは映像を見ているようなヴィジュアルな表現もいい。最初は2冊もあるのかと思ったのですが、その文章力にグイグイ引き込まれて早いペースで読んでしまうのです。また、ちょうどセカンドライフを始めた時期だからよかったのですね。本当にこの小説はセカンドライフを先取りしたような感じで、ここで描かれているメタヴァースの世界は、セカンドライフで殆ど実現していると言ってもいいいでしょうね。

そうこうしているうちに成田に着き、搭乗手続をして、いよいよ機中の人となります。久し振りの中国、久し振りの一人旅——。やがて飛行機は滑走路を離れ、雨を降らせた低い雲の中を揺れながらゆっくりと上昇していく。

機内では安藤さんのル・コルビュジエの本を読んでいました。この本は新潮のとんぼの本のシリーズで、ル・コルビュジエの代表的な建築がカラーでたっぷりと紹介されていて魅力的なのです。そう、日本を代表する建築家の安藤さんが書いているということもまた魅力的ですよね。近代建築の写真集はいろいろありますが、私は必ずしもおもしろいとは思わないのです。ところが、ル・コルビュジエの建築は、どれを見ても美しい、おもしろい、と思わせるものがあるのです。何だか見ていてドキドキ、ワクワクさせるのです。現代の機能的なビルやマンションの基礎を作ったのがこの人ということが言えると思うのですが、現在建っているいろんな建物に比べ、より古い、原型とも言えるル・コルビュジエの建物に美とときめきを覚えるのは何故なのか。その不思議を考えながらこの本を読み進み、結局中国に着く前に全部読んでしまいました。ル・コルビュジエについては、現在六本木ヒルズの美術館で展覧会をやっていて、帰国後行って来ました。ここではとにかく素晴らしい経験ができるので、建築とかデザインとか美術とか、少しでも興味がある人は絶対行った方がいいと思います。24日までなのでお早めに。この展覧会についてはまた稿を改めて書くことにしますね。

そう。そんなこんなしているうちに北京に着きました。10日の夜8時頃のことです。前に来た時と同じく、夜の北京空港は静かなのでした。入国手続を済ませて外に出るとリムジン・バスの乗り場へと向かいます。私の泊まるホテルは宣武門(シェンウーメン)というところにあるのですが、このすぐ近くの西単(シータン)まで直行のバスがあるのです。運賃はたったの16元、日本円で250円程度、安い。しかし、この時間ですし、間違えて乗ってしまうと致命的です。前に来た時は一人と行っても、結局現地では取引先の大手商社の現地スタッフが迎えに来てくれたりハイヤーを手配してくれていたので、自力で動いたわけではないのです。空港のリムジンバス乗り場なのに乗車券を売る係の人は英語なんか喋らない様子。何とか切符は買ったものの、一体どこが乗り場なのか? よく見るとちゃんと行き先を書いた看板もあり、そしてバスのフロントグラスにもちゃんと行き先は書いてありました。それを確認した上で乗車口のところにいる係員に「タオ・シータン・マ?」と恐る恐る久し振りの中国語を口にしてみる。係員は何も言わずに切符を切るのである。まぁ、間違いはないだろう。

やがてバスは走り出す。夜ということもあり、それに15年も経っているのだ、見たことあるようなないような風景。やがてバスが都心に入り、「建国門外」の標識が見えると、ああ、帰って来たな、と思う。懐かしい地名だ。そして西単のターミナルに到着、宣武門のホテルに落ち着いたのはもう10時を過ぎていた。

何とかここまで辿り着いた。そして明日はコンサートだ。お風呂に入り、持ってきたアンドロメダ・エチオピア・コーヒーを飲んで落ち着くと、私はぐっすりと眠りに落ちた——。

この続きはまた明日。


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January 10, 2007

イラン再訪(11)〜バーザール、そして帰国

サアダーバード宮殿の次はバーザールに連れて行ってもらえるとガイドさんが案内してくれました。バーザール! 英語などを通じて、バザーやバザールなどの日本語にもなっているその元は勿論、ペルシャのバーザールから来ているのです。かつてエスファハーンは「世界の半分(ネスフェ・ジャハーン)」と言われ、ヨーロッパ人をしてエスファハーンを見ないでは世界を見たことにならないと言われた程で、それだけペルシャの市場というのは世界中のあらゆるものの集まるところとしてヨーロッパの人々に「バーザール」というペルシャ語のままに伝えられていったのでしょう。2004年にイランを訪れた時にそのエスファハーンのバーザールを楽しませてもらいましたが、何と言っても首都テヘランのバーザールはイラン最大と言われており、そこに行けるかと思うと思わず期待も高まるのでした。

が、実際に訪れたのは、サアダーバード宮殿から比較的近いところにあるタジュリーシュ広場(メイダーネ・タジュリーシュ)にあるバーザールでした。比較的小さなバーザールで、なーんだ、という感じもしましたが、いわゆる旧市街の大きなバーザールは、一度迷ってしまうと元の場所に戻れないと言われているくらいのもので、今回訪れたところは、基本的に横道に入らない限り必ずバスのところまで戻って来られるシンプルな構造のバーザールだということでした。今回の旅行は飛行機の関係で1日短縮されてしまったこともあり、なかなかお土産などを買う時間もない中で、効率的に動きながら私たちツアー客に楽しんでもらおうと、旅行社とガイドの方々とで、苦心して作って頂いたプログラムであるとわかりました。

小さいとは言え——。下の写真でおわかりのように、もう、人、人、人、すごい人混みです。通りの両側にびっしりと並んだ小さな店には、それぞれ取り扱っている商品が山と積まれているのです。以前、ラジオ「DAICHi-大地-」でこのバーザールを歩いている時の音を流しましたけれども、あそこで私が突然、「わぁーっ、これはすごい!」と叫んでいるのは、目の前にかなり大きなフルーツの山が見えてきたからなんです。

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バーザールの中は人、人、人!

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見よ、このうず高く積み上げられたフルーツの山を!

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こちらはパスタや調味料、バラ水などを売ってる食料雑貨店


次の写真は、ナッツや種を扱っている店ですね。イランと言えばピスタチオが有名ですが、私と一緒に行動していた友人の一人は、ギリシャで大変おいしいピスタチオを食べたことがあるが、あのようなピスタチオがイランにもないかと、いくつかの店を回って探しておりました。そうそう! イラン人のお客さんの行動を見ていてわかったのですが、写真のように豆の類が盛ってありますでしょう? 勝手に少しつまんで試食していいのですよ。で、いろんなケースの豆を試食してまわりました。ひまわりの種あり、何だかカレーの味付けをした種ありといろいろです。

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こちらはナッツなどの豆や種、お菓子を売っている店

値段はキロ単位で、それもトマーン表記で書いてあるというのがミソ。例えば、「4,000」と書いてあったら4,000トマーン、つまり40,000リヤールということになります。約500円くらいですね。なんですが、その4,000という数字もペルシャ数字で書いてあるのです。バーザールなどで買い物するんでしたら、ペルシャ数字はマスターしといた方がいいですね。私とその友人はこの時までには慣れていました。というのも、それまでの道中で見かける車のナンバーや看板に書いてある電話番号などで練習していたからです。

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ペルシャ数字です。何となく似ているような似ていないような。

ただ、私自身はピスタチオばっかり1キロも要らないのですね。で、いろいろ見ているとミックスナッツがあったのでこれに決めました。ピスタチオは勿論、松の実や桑の実、小さな栗などいろいろ入っていて楽しめそうです。が、それでも1キロは要らない……。取りあえずこれ下さい、と指で差すと、「どれだけか?」と聞いて来る。そうか! 必ずしも1キロ買わなくていいのだ。量り売りなのだ。そこで思い切って英語で言ってみたのです。「ハーフ!」すると500グラム量って売ってくれるではないですか。勿論値段は値札の半分です。これに味をしめた私たちは、いろんな店に行っては「ハーフ!」を連発することになったのです。

そんなこんなしているうちに、あっと言う間に集合の時間となります。バスに戻ると皆思い思いのものを買った様子。バスは南の市街地へと向かい、昼食を前にお話ししたアーブ・グーシュトを出すイラン料理店でとると、後はもう帰国の途に着くのです。南北の道が交差するメイダーネ・エンゲラーブ(革命広場)のロータリーを回って西の空港へと向かう道に入ります。市街地の西の端にあって、空港からテヘランに入る時、真っ先に私たちを迎えてくれたアザーディー・タワーが見えて来ると、いよいよテヘランともお別れだな、という気になってきます。空港へと向かう道の先には、朝とは違って力を失ったような淡い夕陽がゆっくりと沈んで行きます。

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エンゲラーブ広場のロータリー

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テヘランのシンボル、アザーディー・タワー

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空港へと向かう道の先に夕陽が沈む


バスは空港の手前にあるというスーパーマーケットに寄ってくれました。正に、地元の人たちが使うようなスーパーそのものです。ここでやたら安い絨毯を見つけた話は前にしました。特に買いたいものもなく、ブラブラしてるうちに、そうだ! バラ水でもお土産に買っていこう! と思ったのですが、日本では特別なバラ水も、こちらの人はイタリア人がオリーブ・オイルをジャブジャブ使うように、バラ水をジャブジャブ使うからでしょう、私からすれば殆ど業務用と思えるような大きなポリの容器に入ったものしか売ってませんでした。さすがにこれはお土産としてはあんまり美しくないのと、第一、重いしかさばるのでやめて、前に来た時に食べた「マズマズ・チップス」というお菓子だけ買いました。前にも書きましたが、ペルシャ語で「マゼ」が「味」を表すことから、きっとこれは「ウマウマ・チップス」というニュアンスなのでしょうが——きっと日本では売れないでしょうね。

ただ、一つ気づいたのは、スーパーなので全ての商品に値札がついているのですが、必ずしも安くない、ということです。地元の人たちもこの値段で買っているわけでしょうから、所得水準ということを考えると、テヘランは案外物価が高く、暮らすのは大変なところなのかもしれません。これはあくまでもこのスーパーで得た印象なので、実際にここで生活している人の話を聞いてみないことにはわかりませんが。

スーパーでの買い物時間が終ると、いよいよ空港です。メフラバード国際空港の建物が目に入って来た時、私は妙な感覚にとらわれました。この空港が何とも親しみのある、懐かしい存在に映ったのです。それは丁度、東京にいてあちこち動く時に、必ず立ち寄ることになる新宿駅や渋谷駅に着いた時のような感覚です。前にこの空港に戻って来た時には、この国と、そしてこの国で出会った人々と別れるのがとても辛かったのですが、今回はそのような感傷は全くなかったのです。寧ろ——。

寧ろ、またこの懐かしい空港に戻って来る、という感覚でした。そう、遠くない将来、いつかまたここに戻って来る。きっと——。


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January 05, 2007

イラン再訪(10)〜サアダーバード宮殿にて

さて、今回のイラン旅行の2日目は、まずサアダーバード宮殿博物館に向かいました。ここはパフラヴィー朝のシャー達が住んだところで、革命後は敷地内の数々の宮殿がそれぞれ国の博物館となっている、というところです。ペルシャという、古い伝統を持つ国の宮殿とはどんなものなのか、この旅行の最初から関心を抱いていた場所です。

まず最初に訪れたのは「白い宮殿(カーケ・セフィード)」と呼ばれる、敷地内で一番大きな建物で、ガイドさんによると2代モハンマド・レザー・パフラヴィーが住んだということでしたが、いろいろなガイドブックなどを見ると、その王妃が住んだところとか、その妹が住んだところとか、いろいろ書いてあってよくわからないのですが、多分、一番大きいというところからして、シャーその人が住んだところなのでしょう。前日の、いだきしんさんのコンサートが行なわれたのはこの宮殿の庭に当るところで、ステージのトラスや客席用の椅子がまだそのままになっていました。昨晩は夜だったので、この森の中で迷子になってはいけないと慎重になっていましたが、こうして朝来てみると非常に気持ちのいい所なのでした。

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2代目シャーが住んだという「白い宮殿」

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宮殿に入ったすぐのホール


中に入るとまず案内されるのが、広い待合室で、ここに敷いてある絨毯は、この時のガイドさんによれば120平方メートルで、これはイランで最大の絨毯なのだとのこと。(ネットなどで調べると37畳と書いてありますが、これだと半分の60平方メートルになりますね。実際、10メートル四方くらいはありそうなので、きっと120平方メートルなのでしょう。)更にこの絨毯の目の細かさと言ったら124ラッジとのこと。ラッジとは7センチにどれだけ結び目があるか、という単位なのですが、普通いいと言われているもので60とか70以上ですから、その倍の細かさ、というわけですね。

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120平方メートルの絨毯が敷いてある広間

この他、食堂や居間、寝室や執務室などを見て回りましたが、いずれもその調度のすばらしいこと! 思わず、あ、この部屋いいな、なんてまるで自分が住むかのように評価していたりします。また、2階の吹き抜けには伝統的なペルシャのミニアチュールで、英雄伝説らしきものが描かれていました。それから面白かったのは、宴会場と思われる部屋に、日本風の衝立があったことですね。

一通り見て回って外に出ると、小学校の見学らしいのとぶつかりました。子供たちはやっぱり元気でかわいいですね。特に、女子児童の制服がピンク色のヘジャーブだったのには驚くと共に、かわいいなぁ、と思いました。女学生のヘジャーブが黒というのは知っていましたが、小学生がピンクとは、今回初めて知って新鮮でした。

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「白い宮殿」の入口には小学生たちが集まっていた

白い宮殿の次に向かったのは、「緑の宮殿(カーケ・サブズ)」と呼ばれているところで、ここは、やはりガイドさんによると初代レザー・シャー・パフラヴィーのお住まいだったそうです。ここはそんなに大きな建物ではないものの、庭園の緑とマッチして、落ち着いた気持ちのいいところです。

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「緑の宮殿」へと向かう道——木々の緑が清々しい

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「緑の宮殿」

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これは書斎でしょうか——掛けられた絨毯が素晴らしい


ところがところが、一見地味なこの宮殿、中に入るとですね、これはもう、ガラスと言わず銀と言わず、もう何の素材を使ってあるのかわからないほどギンギラギンの寝室があるのです。こんなに光り輝く部屋で寝るとしたら、心に一つの曇りもない状態でないとムリだね、なんて一緒に行った友人たちと話しておりました。本当に、こんな部屋で寝れるんでしょうか。

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ギンギラギンの寝室

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シャンデリアもこんな感じです


この辺りでさすがの私も、この王様たちの贅沢というのは本当にとんでもないものだと気づきはじめました。パフラヴィー朝は、もともと前のガージャール朝がイギリスやロシアのほしいままになっている状態から、強いペルシャを蘇らせようと革命によって成立したものなのですが、常に矛盾を孕みながら発展したと言えます。イギリスやロシアに対抗するためには、日本がかつてそうしたように積極的に近代化、つまり欧米化を進めなければならない。選挙権や女性の権利の拡大など、とにかく欧米並の制度を定着させようと懸命になりました。が、同時に、ペルシャの伝統も推進したわけで、例えばゾロアスター教や古典芸術の復興にも力を入れました。そうしながら、イギリスなどに押えられていた石油の利権をとりもどそうとしたわけです。実際、一方的な国営化宣言を行なったりしたわけですが……。そうやって生まれた強いイランは、本当に国民のためのものだったのか。単に、シャーの贅沢に貢献しただけではないのか? 石油を国営化しても、その利益は国民に還元されていないのではないか? これが、イスラームの聖職者たちによる革命が成功した理由の一つなのではないでしょうか。

贅沢と言えば、この後訪れた宝石博物館(ムーゼイェ・ジャヴァーヘラート)は、その極致とも言えるものでした。この博物館はイラン国立銀行(バンク・メッリー・イーラーン)の地下にあるのですが、持ち物検査が厳しく、カバンやバッグは勿論、カメラも携帯も持ち込めません。従って写真を撮ることはできません。(因みにこの銀行の周辺は政府関係機関、軍関係機関が集まっているので、例えバスの中からであっても決してカメラを向けないこと。非常にやっかいなことになりますので。)

中に入ると、それはもう、とんでもない世界でした。数万という数の宝石が散りばめられた玉座や、王冠と言わず剣と言わずガウンと言わず、細かいダイヤがこれでもかと織り込まれているのです。呆れたのは、王様のベルトで、ベルトの部分には勿論宝石が散りばめられているのですが、バックルは大きなサファイアの一つ石でした。いや、実際、これだけダイヤやルビーやサファイヤやトルコ石の類をまとめて見たことはありません。これは一体幾ら位するんだろう、なんて値踏みする気力も起りません。ここにあるものを見てしまったら、東京の銀座で見かけるようなものは、もう宝石とは呼ばない、という位のものです。

ありとあらゆる生活用品の全てがダイヤで出来ている世界。そしてギンギラギンの寝室。余りの徹底したその贅沢と派手さに、バカバカしささえ覚えてくる位です。一体、あのガウンやベルトを一つ売っただけで、どれだけの国民を救えることか! 国立銀行の地下にあるということは、実際、これらの宝石はイランという国の万一のためにあるのかもしれません。(そう言えば、この「宝石」を表す「ジャヴァーヘラート」という言葉、「ジョウハル」の複数形なのですが、それはもともと「本質、実体、性質、才能」というような意味なのです。宝石こそ、その国の力なのでしょうか!?)

贅沢なギラギラとした部屋を見た後に外に出てくると、庭に咲いているバラの花に出会いました。何だか、ほっとしますね。

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庭に咲いていたピンク色のバラ

それでは、今日はこの辺で。

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January 04, 2007

イラン再訪(9)〜イランの夜明け

輝かしい年の初めに、今日はイランの日の出をお届けしましょう。昨年11月にイランを訪れた時のことはこのブログで「イラン再訪」として綴ってきましたが、1日目が終ったところでブログ自体をあまり書かなくなってしまい、途中になっておりました。最近、さっちゃんさんとおっしゃる方からいくつかコメント頂いたこともありまして、この時のイラン旅行の続きを書いてみることにします。

イランに到着後、絨毯博物館、歴史博物館、アーブギーネ(ガラス)博物館などを観光していだきしんさんのコンサートに参加した日の夜は、テヘランの北の方にあるアザーディー・グランド・ホテルに泊まりました。テヘランの夜明けは午前6:37ということですから、やはり東京と同じくらいでしょうか。アザーン(暁の祈り)が5:10と聞いていましたので、もう5時前から起きて外に出てみますが、前にも書きましたようにここが市街地から離れた郊外の高級住宅地であるからか、イスラームの国に特有のあの声は聞こえてはきませんでした。

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夜明け前のテヘラン

ならば、と折角なので、今度は日の出を狙うことにします。待つこと約1時間、辺りを真っ赤に染めて太陽は昇って参りました。これはラジオでも話したことなのですが、おもしろいことに、日が昇るその瞬間から鳥たちのざわめきが盛んになり、また、目の前の高速を走る車のクラクションも騒がしくなってくるのです。やはり、太陽の姿は私たち地球に生きるものにとっては喜びであり、活力を与えてくれるものなのでしょう。

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テヘランの日の出

日が昇ったあとは部屋に戻り、その朝日を受けるアルボルズ山脈の山々を眺めます。前に南のシーラーズやヤズドを訪れた時にずっと見えていたのはザーグロス山脈でしたが、北のテヘランはアルボルズ山脈に抱かれた都市。街のどこからもこのアルボルズの山並みが見えるのです。イランの最高峰、富士山にも似た5,601メートルのダマーヴァンド山はここからは見えなくて残念でしたが、雪を頂いた遠くの高い山々はやはり神聖さを感じさせます。何れも4,000メートルを越えるものなのだそうです。

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アルボルズ山脈に抱かれたテヘランの高級住宅街

この山々の向こうにカスピ海があり、その辺りは日本と同じような水田の広がる、懐かしい風景なのだと言います。今回は行けなかったギーラン地方へと思いを馳せながら、私はこの山々に見入るのでした。

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この山には、そしてその向こうには、どんな風景や生活があるのだろう?

そして、この後いよいよ2日目の旅が始まります。まずはこのホテルから比較的近いところにあるサアダーバード宮殿へと向かうのです。


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